松山千春「銀の雨」を聴くと、今でも叔父さんを思い出す
2026-10-09| 画像:生成AI(ChatGPT)で作成 |
今日、YouTubeで松山千春さんの「銀の雨」を聴きました。
この曲を聴くと、今でも必ず思い出す人がいます。
父のお兄さん、私にとっての叔父さんです。
もう何十年前になるのでしょう。
正確な年は覚えていませんが、私が中学生の頃、叔父さんは亡くなりました。
そして、なぜかその日の記憶と「銀の雨」が、私の中ではずっと一緒になっています。
「親しき仲にも礼儀あり」
叔父さんについて、今でもよく覚えていることがあります。
たしか私が小学生の頃です。
運動会の徒競走で1等になった翌日、叔父さんがお祝いをくれました。
「Mamoru、おめでとう」
そう言って、お札をそのまま私に渡してくれました。
そして、
「親しき仲にも礼儀ありだから、本当は袋に入れなきゃいけないんだけどな」
そんなことを言ったのを覚えています。
いくらもらったのか。
小学校何年生だったのか。
もう思い出せません。
でも不思議なことに、
「親しき仲にも礼儀あり」
という叔父さんの言葉だけは、今でも頭に残っています。
父と一緒に働くようになった叔父さん
当時、父は婦人靴の加工業を営んでいました。
叔父さんはお酒が好きな人で、私の記憶では、きちんとした定職にも就いていなかったと思います。
そんなお兄さんを見て、父は、
「うちで仕事をしないか」
と声をかけたのでしょう。
それから叔父さんは、父と一緒に仕事をするようになりました。
ただ、仕事には来たり来なかったり。
本当によく休んでいました。
おそらく、お酒の飲み過ぎもあったのだと思います。
叔父さんが来なければ、その分の仕事を父がやります。
父が仕事を丁寧に教えても、納品した靴に直しを指摘されれば、結局それも父がやっていました。
子どもだった私にも、そんな様子は記憶に残っています。
叔父さんが仕事に来なくなった
そんな叔父さんが、ある時、数日間仕事に来なくなりました。
普段から休むことの多い人だったので、最初はそれほど不思議なことではなかったのかもしれません。
それでも父は心配になり、2番目のお兄さんに電話をしました。
しかし、「いいよ」と言われたようで、その時は叔父さんへ電話をしたり、家まで様子を見に行ったりすることはありませんでした。
それから数日後だったと思います。
叔父さんが借りていた部屋の大家さんから電話が入りました。
家賃が振り込まれていないので部屋へ行ってみると、鍵が開いていた。
中に入ると叔父さんが倒れていて、声をかけても反応がない。
そんな連絡でした。
「兄貴が亡くなったかもしれない」
その時の父の姿は、今でも覚えています。
父は私に、
「兄貴が亡くなったかもしれない」
と言って、慌てて家を出ていきました。
私は一人、家で待っていました。
しばらくして、父から電話がありました。
「兄貴、亡くなった。少し帰りが遅くなる」
叔父さんは亡くなっていました。
一人で聴いた「銀の雨」
その時、家に一人でいた私は、松山千春さんの「銀の雨」を聴きました。
そして泣きました。
叔父さんと、ものすごく深い付き合いがあったわけではありません。
毎日のように遊んでもらったとか、どこかへ連れて行ってもらったとか、そんな思い出がたくさんあるわけでもありません。
それなのに、あの日は悲しかった。
一人で「銀の雨」を聴きながら泣いたことを、今でも覚えています。
何十年経っても、曲を聴けば思い出す
あれから何十年も経ちました。
今日、YouTubeで何気なく「銀の雨」を聴いただけなのに、叔父さんのことが頭に浮かびました。
運動会の翌日にお祝いをくれたこと。
「親しき仲にも礼儀あり」と言ったこと。
仕事に来たり来なかったりしていたこと。
父が慌てて家を出ていったこと。
そして、
「兄貴、亡くなった」
という父からの電話。
普段、叔父さんのことを思い出すことはほとんどありません。
それでも「銀の雨」を聴くと、あの日の記憶が戻ってきます。
音楽って不思議ですね。
忘れてしまったことがたくさんあるのに、ある曲を聴いた瞬間、その時の出来事や人の言葉、そして自分の感情まで一緒に戻ってくることがあります。
何年生だったのかも、いくらお祝いをもらったのかも、もう覚えていません。
それなのに叔父さんの「親しき仲にも礼儀あり」という言葉と、一人で「銀の雨」を聴いて泣いたあの日のことは、何十年経った今でも残っています。
私にとって松山千春さんの「銀の雨」は、叔父さんとの記憶につながっている、そんな一曲なのだと思います。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
MACLIFELab