認知症の父と、施設という選択
2026-07-24昨日も父から電話がありました。
12時51分
父
「mamoru。ジジだけど」
私
「うん、どうしたの?」
父
「明日やることないんだよ」
私
「みんなそうだよ」
父
「伊勢崎に帰りたいんだよ
私
「帰っても誰も面倒見てくれないよ」
父
「そうなんだ」
そして少し間を置いて、
「他に行くところないかね」
「mamoru、面倒見てくれないか」
その時、後ろで母が、
「あなたがここが嫌なだけじゃない」
と言っているのが聞こえました。
私が、
「お金もないでしょ」
と言うと、
父は、
「ないよ」
私
「介護施設しかないよ」
父は母に向かって、
「介護施設しかないって」
と話し、そのまま電話を切りました。
これが昨日の1分間の会話です。
そして今日も電話がありました。
15時17分
父
「mamoru。ジジだけど」
私
「何?」
父
「何じゃないんだけどさ」
「〇〇に電話したけど元気だったよ」
「今、一緒に住んでる人と南千住に挨拶に行くんだよ」
私
「お父ちゃん、今も南千住にいるんでしょ?」
父
「そうだよ、南千住だよ」
私
「じゃあ、どこに行くの?」
「引っ越すにもお金ないでしょ」
父
「お金ないよ」
私
「年金生活者はみんなそうだよ」
「年金で何十万円ももらっている人は少ないよ」
父
「そうか」
後ろでは母が何か文句を言っているのが聞こえました。
そして最後に、
「悪かったね。じゃあね」
と言って電話は終わりました。
以前も書きましたが、父の中で伊勢崎という場所は、ただの故郷ではないのかもしれません。
兄弟たちと過ごした時間。
安心して暮らせた場所。
今の生活ではなく、「帰る場所」。
そんな気持ちが父の中には強く残っているように感じます。
素人考えですが、最近の父を見ていると、新しい記憶は薄れやすく、昔の長期記憶が強く残っているようにも思います。
ただ、それだけでは説明できないこともあります。
母のことを忘れ、孫のことも忘れ、それでも私のことは覚えている。
認知症は、本当に不思議で、そして難しい病気です。
最近、施設について考えることが増えました。
母方の祖父も、長年一緒に暮らしていた叔母が亡くなった後、施設に入りました。
施設に入った頃は、認知症もそこまで進んでいなかったように思います。
でも、私には施設に入ってから一気に進行したように見えました。
もちろん、それは私の勘違いかもしれません。
ただ、3年もしないうちに祖父は私のことを忘れていました。
以前の私は、祖父を誰も引き取らなかったことに不満を持っていました。
祖父が言った、
「もう、ここにいるしかないんだろう」
という言葉も今でも忘れられません。
その思いがあるからこそ、父を無理に施設へ入れることには強い抵抗がありました。
本人が嫌がっているのに、無理に施設へ入れるのは違う。
父を施設に入れた後の母の暮らし。
ずっとそう思っていました。
でも最近は、考え方が少し変わってきました。
ネットを見ると、
「本人が嫌がっていても施設に入れた方がいい」
という意見をよく目にします。
それは決して冷たい考えではなく、介護する家族との共倒れを防ぐための言葉なのだと思います。
以前の私は、その考えを受け入れられませんでした。
でも今は、無理にでも施設に入れるという選択が、結果的に父にとっても、母にとっても、一番良いことなのかもしれない。
そう考えるようになりました。
それが本当に父にとって幸せなのか。
今の私には、まだ答えが分かりません。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
MACLIFELab