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2026年3月4日水曜日

M5 Mac登場。「持てる者」と「持たざる者」を分けたAppleの春

漢字Talkの時代から30年以上。
幾多の「驚き」と「落胆」を共にしてきたAppleですが、今回の発表ほど 「持てる者」と「持たざる者」を明確に分けたラインナップ も珍しい。

1. MacBook Pro M5シリーズ(正統進化)
• チップ:M5 Pro / M5 Max
M1 Pro比でSSD速度が2倍、AI性能は8倍。
• ストレージ:ついに標準で 1TBから(512GBは廃止)。
• ディスプレイ:120Hz(ProMotion)継続。

ベテランの視点:道具としての完成度は、すでに頂点に達した感がある。30年前からすれば、このパワーがノートに収まっているのはもはや魔法だ。

2. MacBook Air M5(実利の極み)
• スペック:ついに 16GBメモリ / 512GBストレージが標準。
• ディスプレイ:変わらず60Hz。
ベテランの視点:ついにAppleが「最低限使えるスペック」の底上げを認めた。
120Hzという「贅沢」を削る代わりに、16GBメモリという「必須」を配った格好だ。

3. Studio Display XDR(新カテゴリーの衝撃)
• Studio Display 2(標準):カメラ刷新のみで60Hz継続。
• Studio Display XDR:27インチ5K。待望の 120Hz(ProMotion)+ミニLED 搭載。
• 価格:約52万円(3,299ドル)〜。
ベテランの視点:120Hzの外部ディスプレイを待っていたユーザーへの回答は、
「MacBook Proがもう1台買える追加料金を払え」という、少々非情なものだった。

増える薬、消えない不調――「出口」を探し続ける記録




2026年3月3日火曜日

無力の海に浮かぶ「たられば」の残骸

「画像はAI(Gemini)で生成したイメージです」


時々、深く暗い海に沈んでいくような感覚に陥ることがある。

そして、決して届かない「もしも」の断片を、一つひとつ拾い集めては溜息をつく。


もし今、私にうつ病という鎖がなく、以前のように元気に働けていたなら。

母の肩に食い込む介護の重荷を、もっと軽くしてあげられたのではないか。


もし私に、あの頃のような蓄えがあったなら。

「どこか他に住むところはないか」と縋るような声で電話してくる父に、別の選択肢を提示してあげられたのではないか。


金を無心してきた姉に、突き放すのではなく、そっと余分に握らせてあげられていたら。

姉の人生もまた、違う色に染まっていたのではないか。


毎日、決まった時間にスマホが震える。

受話器の向こうの父は、今の生活から逃げ出したい一心で、同じ言葉を繰り返す。


「他にも住むところないかな?」


私はそのたびに、冷たく、残酷な現実を言葉にして返さなければならない。


「ないよ。その年齢じゃ部屋は借りられないんだよ」

「お金だって、ものすごくかかるんだよ」


父を突き放したいわけではない。

けれど、今の私には父の願いを叶える「力」がない。


かつての私は、大企業ではないにせよ、それなりの給与をもらい、自分の足でしっかりと立っていた。

一体どこで、私の人生の歯車は狂い、これほどまでに無力になってしまったのだろう。


数年前、亡くなった伯父の次男から兄が亡くなったからと「家の保証人になってほしい」と電話があった。子供の頃、よく一緒に遊んだ親戚のお兄さんだった。

そのお兄さんももう何十年もうつ病で無職だった。


けれど、うつ病で無職だった私には、自分一人の命を守るのが精一杯だった。

誰かの人生を背負う余裕なんて、ひとかけらも残っていなかった。


無碍に断るしかなかった。


その一年後、母から警察から連絡があり、彼は孤独死したと聞いた。


「病気だから、仕方ない」

自分自身でも何度もそう言い聞かせてきた。

けれど、理屈では割り切れない「情」が、胸の奥でずっと疼き続けている。


大切に思っているからこそ、何もできなかった自分がいる。

そして今も、何もできない自分がいる。


その事実が、刃のように胸を刺す。


お金があったとしても、何も変わらなかったかもしれない。

それでも、もう少し、何かできたんじゃないかと思ってしまう。


父に「いいよ、探してみようか」と言ってあげられる余白が、どこかにあったのではないかと。


今の私には、父の幻想を打ち砕く「現実」を突きつけることしかできない。


かつての自分が手にしていた「力」の残骸を数えながら、この無力の海で、今日をやり過ごしている。


鳴り止まない電話の着信音が、今日も部屋に響く。


まるで、私の無力さをあざ笑うかのように。

届いた「障害状態確認届」――私の生活は、医師のペン先に委ねられている

昨日、日本年金機構から「障害状態確認届(診断書)」が届きました。 障害年金の決定通知書が届いてから、早いものでもう約2年が経とうとしています。


次回のメンタルクリニック受診時に記入をお願いする予定ですが、この書類を見るたびに、以前もブログに書いた「ある思い」が頭をよぎります。 それは、**「結局のところ、すべては先生の主観次第なのではないか」**ということです。


「○の位置」で決まる現実

初めて障害年金を申請した際、私は社会保険労務士事務所に依頼しました。 その時、社労士の方はこう言っていました。 「診断書にある『○の位置』の個数を見れば、申請が通るかどうか、おおよその検討がつきます」

そんなものなのです。 本人がどれほど苦しんでいても、生活が立ち行かなくても、書類上の判定は担当医の書き方一つで決まってしまう。まさに「先生次第」という現実を突きつけられた気がしました。


訴求が通らなかった過去の悔しさ

初めての申請時、私は過去に遡って受給できる「遡及(そきゅう)請求」も含めて依頼しました。

しかし、社労士からは「今の診断書の内容では遡及分は難しい」と言われてしまいました。

私の中では、通院を始めた当初から症状は何ら変わっていませんでした。だからこそ、クリニックに診断書の訂正を求めましたが、断られてしまいました。結果、遡及分は認められませんでした。 

本人の実感と、医師が書く書類のギャップに、どうしようもない無力感を感じた出来事でした。


厳しくなる判定、募る不安

昨年の4月、Yahoo!ニュースで「精神・発達障害で不支給が2倍増」という記事が話題になりました。

 ある社労士の先生によれば、2024年に入ってから年金機構の判定は明らかに厳しくなっているそうです。

今回の再申請がもし通らなかったら、私の生活は今よりもさらに厳しいものになります。 「次も大丈夫だろうか」という不安を抱えながら、私はまた、あの診察室の椅子に座らなければなりません。

終わりの見えない吐き気との闘い――それが「うつ病」の始まりだった

〜原因不明の吐き気に2年以上苦しんだ私の記録〜


私の体に異変が起きたのは、2017年1月31日のことでした。

親戚の相続手続きのため、叔母の家で待ち合わせて千葉地方法務局松戸支局へ行く日のことです。


駅から叔母の家に向かって歩いている途中、突然、激しい吐き気に襲われました。

もともと胃腸が弱く、胃薬は常備していましたが、わずか20分ほどの道のりで2回も薬を飲むほど、その吐き気は尋常ではありませんでした。


用事を済ませたあと、甥の店へ向かう途中も異変は続きます。西日暮里駅で吐き気に耐えきれず下車し、トイレへ駆け込みました。しかし、込み上げてくる感覚はあるのに、実際には何も出ないのです。


帰路、葛西駅を過ぎたあたりで、これまでに経験したことのない猛烈な吐き気に襲われました。

「このまま座席で戻してしまったらどうしよう」

そんな不安が頭をよぎります。涙目になりながら浦安駅に着くのを待ち、到着するや否や再びトイレへ。しかし、ここでも激しい吐き気だけが続き、何も出ませんでした。


この日から、私と吐き気との闘いが始まりました。

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