「もう行ってもダメだね」父が帰りたがる家
2026-07-0310時25分。1分。
父
「mamoru。ジジだけど」
私
「うん、何?」
父
「俺、今都営住宅に住んでんだよ」
私
「そうだよ」
「もう何年も前に引っ越したでしょ」
父
「そう、今ここに世帯持って住んでんだ」
「あれ何丁目だったかな?」
「前の家」
私
「あそこは借りてた家でしょ」
「もう他の人が住んでるよ?」
父
「そうか、じゃあもう行ってもダメだね」
私
「ダメだよ。勝手に入ったら泥棒になっちゃうよ」
父
「わかった、ありがとね」
と、こんな感じである。
何度も繰り返される「前の家」の話と記憶
伊勢崎の話もそうだが、父は都営住宅に引っ越してくる前に借りていた家の話もよくする。
「釣竿を取りに行きたいんだけど」
「2階にテレビを置いてきちゃったから、取りに行きたいんだけど」
そんなことを、何度も話す。
以前、母が買い物に出掛けている間に、父が家を出てしまったことがある。
慌てて探した母は、父が以前住んでいた借家の近くの駐車場で座り込んでいるのを見つけた。
座り込んでいた父を、母は立ち上がらせることができなかった。
その場所を行き帰りで2回通った若い夫婦が声を掛けてくれて、父を家まで送ってくれたことがある。
確か前の借家は、30年以上借りていたと思う。
父にも、それなりの思い出がある家なのだと思う。
愛犬レオと暮らした、かけがえのない時間
特に我が家では、これまで小型犬を3回、家族として迎えている。
その最後の家族が、ジャックラッセルテリアのレオだった。
レオは、父が初めて「この犬がいい」と選んで家族に迎えた犬である。
父は本当にレオを可愛がっていた。
朝の散歩は、父のラジオ体操と合わせて2時間。
仕事の合間にも、家の近所を散歩していた。
可愛がっていたレオが亡くなった時、父は泣きながら私に電話を掛けてきた。
母からはよく、「お父ちゃんはペットロスからおかしくなった」と聞かされる。
それが事実かどうかは、私には分からない。
ただ、父が以前住んでいた借家の話を繰り返すたびに、私はレオのことも思い出しているのではないかと思う。
父にとって、あの家には「帰りたい場所」だけではなく、「レオと暮らした時間」も残っているのかもしれない。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
MACLIFELab