2026年3月2日月曜日

結局、みんな「他人事」なんだ。

父の病状が悪化し、1日2回の電話に追い詰められる日々の中で、最近痛感することがある。
それは、「世間というものは、どこまでいっても他人事でしかない」ということだ。


父や母の知り合いが、心配して母に電話をかけてくることがあるらしい。

だが、その内容は決まって薄っぺらな同情だ。

「区役所に相談してみたら?」

「もう、施設に入れちゃえばいいじゃない」


母から電話越しにその話を聞かされるたび、私の胸の奥にはどす黒い怒りが込み上げる。

「こっちだって、できることは全部やってるんだよ」

「一度も家に見に来たこともないくせに、簡単に言うな」


喉元まで出かかった文句を飲み込みながら、愚痴をこぼす母の話を聞く。

母の辛さはわかる。けれど、それをぶつけられる私の心も、もう余裕なんて1ミリも残っていないのだ。


2026年2月28日土曜日

22年前のあの日、私たちの家は一度壊れた

 前回の記事を書いてから、ずっと考えていることがある。

「もし、あの時あんなことが起きなければ、今の父はどうなっていただろうか」と。


かつて、両親は自営業で婦人靴の加工業を営んでいた。

朝8時から夜10時まで、休みも返上して働く背中を見て育った。やればやっただけ収入になる。端から見れば、それなりに余裕のある家だったはずだ。


けれど、2005年。あの夜を境に、私たちの時計の針は狂い始めた。


睡眠薬を大量に飲んだ姉

夜10時過ぎ、姉の子供からかかってきた一本の電話。

「ママがリビングで倒れた」

慌てて家を飛び出していった両親が戻ってきた時、顔は土色だった。

「朋美が睡眠薬を大量に飲んだ」

「いつ目を覚ますか分からないって言われた」


面会に言ってもICUのベッドで動かない姉。父は「俺が代わってやりたい」と泣きながら、何度も何度も姉の足をさすっていた。

その後、奇跡的に姉は目を覚まし、「ジジ、家に帰りたい」と言った。

その一言で、すべてが元通りになると信じたかった。