2026年4月14日火曜日
2026年4月6日月曜日
深夜の39.6度。繋がらない♯7119と、病院で告げられたインフル以外の衝撃の結果
先日耳鼻科に行ったとの話をブログに書きましたが、その日の夜に♯7119に電話をすることになりました。
その日の23時30分頃からなんか調子悪いなと感じていたら、0時前には激しい悪寒、38度の熱、猛烈な関節痛に襲われました。
悪寒は歯がガクガクする程、体は震える程、トイレに行きたくても壁に手をつけて行かなくては行けないほどでした。
2026年4月1日水曜日
【追記】繰り返す不調と消えない不安――出口の見えないループの中で
| 処方された薬(耳鼻科) |
今日、耳鼻科に行ってきました。
本当は11時に、首の痛みに耐えかねて整形外科に行く予定でした。
ただ、喉に粘りつく痰で吐き気が出ることもあり、
整形外科の予約をキャンセルして耳鼻科へ向かいました。
この耳鼻科は最近では珍しく予約制ではなく、
混んでいると待合室で待つこと自体が苦痛です。
昨年12月から通っていますが、
Googleマップの評判を見て、歩いて行ける範囲で選びました。
2026年3月30日月曜日
頑張って見に行った桜。メンタル不調の中、数分間の外出がくれた小さな前向きさ
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| 近所で見た桜 |
桜を見に行った日。少しだけ「前に進めた」と思えた
昨日のブログにも書きましたが、桜を見に行ってきました。
テレビでは「満開」と言っていたので、期待をして頑張って桜を見に行きました。
桜を見に行くのに「頑張る」というのも変な話ですが、
人混みの中に出ていくことは、今の自分にとってはそれくらい勇気が必要です。
2026年3月29日日曜日
生きる意味が分からない。それでも今日、桜を見に行こうと思った
| ※この写真は以前撮ったものですが、今日はこの桜を見に行こうと思います |
毎日、頭の中でその問いがぐるぐると回り続けています。
金曜日、精神科に行った帰りもそう思いました。
それでも「親より早く死ねない」という理性が、辛うじて踏みとどまらせています。
でも、考えること自体がもう、耐えがたい苦痛です。
精神科に通うという現実
2019年12月、メンタルの病院に行きました。
かなり昔にお世話になったことはありますが、もう自分には縁がないと思っていた場所です。
正直、今でもよく分かりません。
なぜ自分が精神科に通っているのか。
本当に分からないんです。
2017年に体に異常を感じてから、精神科に行くまでの2年間。
他人から見れば甘いのかもしれませんが、自分なりに必死に頑張っていました。
それでも2019年、「精神科に行ってください」と言われたとき、
頭に浮かんだのは一つだけでした。
「え、自分が精神科?」
ただそれだけでした。
精神科が悪いわけではありません。
でも、世間からどんどん取り残されていく感覚だけは、はっきりとありました。
それでも最初は、まだ何とかなると思っていました。
面接にも行きました。
でも体調が悪くなるにつれて、できることが減っていき、
気づけばこう思うようになっていました。
「自分って、こんなに何もできない人間だったのか?」
そこからは、諦めることが増えていきました。
そして気づけば、毎日同じ問いを繰り返していました。
「何で生きているんだろう」
2026年3月27日金曜日
メンタルクリニックと5分診察――障害状態確認届を前に、初めて涙が出た日
病院を出た時に見た桜
今日、メンタルクリニックに行ってきた。
薬をもらうことと、障害年金の更新のための「障害状態確認届」をお願いするためである。
いつもは10時30分からの予約だが、私は10時すぎに家を出て、10時5分くらいには着くようにしている。
理由は単純で、患者がいなければすぐに診察してもらえるからだ。
しかし今日は、前に2人待っていた。
2026年3月26日木曜日
「あなたは病気じゃない」と言われた日――それでも私は、またメンタルに通っている
メンタルの病気は、見た目では分からない――明日また診断書をお願いしに行く
明日はメンタルの病院です。1ヶ月ぶりです。
いつもは3週間ごとなのですが、今回は20日が祝日だったため、1ヶ月ぶりになりました。
これも少し不思議な話で、普通なら3週間後が祝日なら19日や21日に診察を入れてもおかしくないのではと思うのですが、その時の先生は「2週間後か1ヶ月後」と言いました。
よく分からないものです。
私はメンタルにかかるのは、実はこれが2回目です。
2026年3月24日火曜日
【実録】障害年金が不支給になった理由:通知書の内容と私の現実
金曜日にメンタルクリニックへ行き、障害年金申請のための診断書をお願いしなければなりません。あの8千円もする診断書一枚で、私の何が分かるというのでしょうか。
2年前、私は社会保険労務士を通して障害年金の申請を行いました。結果は、遡及(そきゅう)分に関して不支給。年金事務所から届いた通知書の裏面、そこには「決定の理由」が淡々と記されていました。
【追記】繰り返す不調と消えない不安――出口の見えないループの中で
【追記】この記事は2026年3月16日・11日にアップしたブログの続きです。
16日のブログで、昨年10月から続いていた痰(たん)の症状が、ようやく少し落ち着いてきたように感じています、と書きました。
2026年3月20日金曜日
父に似ていく自分
父から電話がかかってくるたび、
心のどこかで「父が倒れたのではないか」と思う自分がいる。
そして画面に表示された名前が父だと分かった瞬間、
私は露骨に声のトーンを落とす。
きっと周りから見たら、私はとても冷たい人間に見えるのだと思う。
私が引きこもるようになった理由は、吐き気だけではない。
皮肉なことに、そのもう一つの理由は父にある。
2026年3月16日月曜日
増える薬、消えない不調――「出口」を探し続ける記録
【追記】
この記事は2026年3月11日にアップしたブログの続きです。
最近の体調ですが、昨年10月から続いていた痰(たん)の症状が、ようやく少し落ち着いてきたように感じています。
夜横になったときや、朝起きた直後にはまだ痰が絡みますが、日中は以前より落ち着いてきました。
「もしかしたら、最悪の状態は抜けたのかもしれない」
2026年3月4日水曜日
2026年3月3日火曜日
無力の海に浮かぶ「たられば」の残骸
そして、決して届かない「もしも」の断片を、一つひとつ拾い集めては溜息をつく。
もし今、私にうつ病という鎖がなく、以前のように元気に働けていたなら。
母の肩に食い込む介護の重荷を、もっと軽くしてあげられたのではないか。
もし私に、あの頃のような蓄えがあったなら。
「どこか他に住むところはないか」と縋るような声で電話してくる父に、別の選択肢を提示してあげられたのではないか。
金を無心してきた姉に、突き放すのではなく、そっと余分に握らせてあげられていたら。
姉の人生もまた、違う色に染まっていたのではないか。
毎日、決まった時間にスマホが震える。
受話器の向こうの父は、今の生活から逃げ出したい一心で、同じ言葉を繰り返す。
「他にも住むところないかな?」
私はそのたびに、冷たく、残酷な現実を言葉にして返さなければならない。
「ないよ。その年齢じゃ部屋は借りられないんだよ」
「お金だって、ものすごくかかるんだよ」
父を突き放したいわけではない。
けれど、今の私には父の願いを叶える「力」がない。
かつての私は、大企業ではないにせよ、それなりの給与をもらい、自分の足でしっかりと立っていた。
一体どこで、私の人生の歯車は狂い、これほどまでに無力になってしまったのだろう。
数年前、亡くなった伯父の次男から兄が亡くなったからと「家の保証人になってほしい」と電話があった。子供の頃、よく一緒に遊んだ親戚のお兄さんだった。
そのお兄さんももう何十年もうつ病で無職だった。
けれど、うつ病で無職だった私には、自分一人の命を守るのが精一杯だった。
誰かの人生を背負う余裕なんて、ひとかけらも残っていなかった。
無碍に断るしかなかった。
その一年後、母から警察から連絡があり、彼は孤独死したと聞いた。
「病気だから、仕方ない」
自分自身でも何度もそう言い聞かせてきた。
けれど、理屈では割り切れない「情」が、胸の奥でずっと疼き続けている。
大切に思っているからこそ、何もできなかった自分がいる。
そして今も、何もできない自分がいる。
その事実が、刃のように胸を刺す。
お金があったとしても、何も変わらなかったかもしれない。
それでも、もう少し、何かできたんじゃないかと思ってしまう。
父に「いいよ、探してみようか」と言ってあげられる余白が、どこかにあったのではないかと。
今の私には、父の幻想を打ち砕く「現実」を突きつけることしかできない。
かつての自分が手にしていた「力」の残骸を数えながら、この無力の海で、今日をやり過ごしている。
鳴り止まない電話の着信音が、今日も部屋に響く。
まるで、私の無力さをあざ笑うかのように。
届いた「障害状態確認届」――私の生活は、医師のペン先に委ねられている
昨日、日本年金機構から「障害状態確認届(診断書)」が届きました。 障害年金の決定通知書が届いてから、早いものでもう約2年が経とうとしています。
次回のメンタルクリニック受診時に記入をお願いする予定ですが、この書類を見るたびに、以前もブログに書いた「ある思い」が頭をよぎります。 それは、**「結局のところ、すべては先生の主観次第なのではないか」**ということです。
「○の位置」で決まる現実
初めて障害年金を申請した際、私は社会保険労務士事務所に依頼しました。 その時、社労士の方はこう言っていました。 「診断書にある『○の位置』の個数を見れば、申請が通るかどうか、おおよその検討がつきます」
そんなものなのです。 本人がどれほど苦しんでいても、生活が立ち行かなくても、書類上の判定は担当医の書き方一つで決まってしまう。まさに「先生次第」という現実を突きつけられた気がしました。
訴求が通らなかった過去の悔しさ
初めての申請時、私は過去に遡って受給できる「遡及(そきゅう)請求」も含めて依頼しました。
しかし、社労士からは「今の診断書の内容では遡及分は難しい」と言われてしまいました。
私の中では、通院を始めた当初から症状は何ら変わっていませんでした。だからこそ、クリニックに診断書の訂正を求めましたが、断られてしまいました。結果、遡及分は認められませんでした。
本人の実感と、医師が書く書類のギャップに、どうしようもない無力感を感じた出来事でした。
厳しくなる判定、募る不安
昨年の4月、Yahoo!ニュースで「精神・発達障害で不支給が2倍増」という記事が話題になりました。
ある社労士の先生によれば、2024年に入ってから年金機構の判定は明らかに厳しくなっているそうです。
今回の再申請がもし通らなかったら、私の生活は今よりもさらに厳しいものになります。 「次も大丈夫だろうか」という不安を抱えながら、私はまた、あの診察室の椅子に座らなければなりません。
終わりの見えない吐き気との闘い――それが「うつ病」の始まりだった
〜原因不明の吐き気に2年以上苦しんだ私の記録〜
私の体に異変が起きたのは、2017年1月31日のことでした。
親戚の相続手続きのため、叔母の家で待ち合わせて千葉地方法務局松戸支局へ行く日のことです。
駅から叔母の家に向かって歩いている途中、突然、激しい吐き気に襲われました。
もともと胃腸が弱く、胃薬は常備していましたが、わずか20分ほどの道のりで2回も薬を飲むほど、その吐き気は尋常ではありませんでした。
用事を済ませたあと、甥の店へ向かう途中も異変は続きます。西日暮里駅で吐き気に耐えきれず下車し、トイレへ駆け込みました。しかし、込み上げてくる感覚はあるのに、実際には何も出ないのです。
帰路、葛西駅を過ぎたあたりで、これまでに経験したことのない猛烈な吐き気に襲われました。
「このまま座席で戻してしまったらどうしよう」
そんな不安が頭をよぎります。涙目になりながら浦安駅に着くのを待ち、到着するや否や再びトイレへ。しかし、ここでも激しい吐き気だけが続き、何も出ませんでした。
この日から、私と吐き気との闘いが始まりました。
2026年2月19日木曜日
機能性ディスペプシアと逆流の影 ~吐き気が少し引いたと思ったら、今度は痰との長い戦い~
胃カメラの結果で「機能性ディスペプシア」と診断されてから、少し時間が経ちました。
相変わらず、うつ病の波と胃の不快感、そして吐き気との毎日の戦いは続いています。でも、唯一の小さな救いは、あれほど毎日を支配していた「吐き気」が、少しずつ、ほんの少しずつですが、凪の状態に向かっていること。
以前はどんな時でも「いつ戻すか」という恐怖が付きまとっていましたが、今はそれが薄れてきている。
それだけでも、ほんのわずかだけど、呼吸がしやすくなった気がします。
ただ、吐き気が引いた代わりに、新たな強敵が現れました。
痰です。
2026年2月13日金曜日
今日が障害年金・年金生活者支援給付金 支給日でした(15日が日曜で繰り上がり)
おはようございます。
今日は何の日でしょう?
そう、年金支給日です!
本来なら15日が支給日なんですが、15日が日曜日だったため、今日(金曜日)に繰り上がって入金されました。
朝、スマホで通帳アプリを開いた瞬間、
「入ってた…!」ってちょっとだけホッとしました。
今回の支給額はこんな感じです。
2025年11月17日月曜日
2025年6月13日金曜日
障害年金・年金生活者支援給付金 支給日
年金生活者支援給付金が10,900円の合計149,516円であった。
この金額が1ヶ月分の金額だったらな~と正直思う。
2025年4月15日火曜日
障害年金・年金生活者支援給付金 支給日
今回の支給額は障害年金が136,000円


