2026年3月23日月曜日

父が母を忘れた夜。認知症の現実と、施設という選択を初めて考えた日

※画像はAI(ChatGPT)で生成したイメージです。


2025年9月13日。
カップ麺を食べている横で、iPhoneが震えた。母からだった。
「今すぐ実家に来て。お父ちゃんが、私のことが全然わからなくなってる」

夜中から、父は母の顔を見ても誰だか理解できず、写真を見せて説明してもダメだったという。受話器を代わった父に「そこにいるのはバアバでしょ」と言っても、どこまで理解しているのか怪しい。

私は死に物狂いで実家に向かった。

「お父ちゃん、みんなに迷惑かけてるんだよ」
実家に着くと、母は力なく下を向いて座っていた。父の顔つきは、どこか変だった。
母に「なんでこんなになるまで放っておいたの」と聞くと、返ってきたのは「迷惑かけるから」という、いつもの言葉だった。

私は、自分を冷酷な人間だと思いながら、認知症の父に告げた。
「お父ちゃん、みんなに迷惑かけてるんだよ。もう施設に入ったほうがいい」

数年前まで、犬を連れて2時間も散歩し「悪いところなんて一つもない」と言っていた父は、もうそこにはいなかった。
父は「俺はどこでもいいよ。迷惑かけてるなら施設でもどこでもいいよ」と力なく答えた。

2026年3月20日金曜日

お線香

※画像はAI(ChatGPT)で生成したイメージです


お彼岸である。

姉や祖父母、叔母の墓参りには行けなかった。
体調の問題もある。

それでも何とか実家に顔を出して、
お線香だけはあげてきた。

もちろん、両親の体調の確認もあった。

実家に着き、お線香をあげた後、母に聞いた。

「お姉ちゃんの墓参り、行ったの?」

「17日に行ってきたよ」

正直、心の中では思った。

よく行けたな。

母は続けて言った。

「朝9時過ぎにタクシーで行ってね」

「年会費が12,000円で、タクシー代と花で7,000円以上」

「全部で2万円くらいかかったよ」

2026年3月18日水曜日

認知症の父と母の入院。iPhoneメモが記録していた介護崩壊の2021〜2023年

※下の画像は、母の2回目の入院時に医師が説明のために書いたメモである。


これは、私がiPhoneのメモに残しておいた記録をもとに書いている。

読み返すと、当時の張り詰めた空気や、心が削れていく感覚がよみがえる。
2021年の引っ越しから、2023年に生活が崩れていくまでの記録である。


2021.08.03

実家が都営住宅へ引っ越し

この頃の父は、まだ母から話を聞かなければ認知症とは分からない程度だった。

しかし今振り返ると、異変はすでに始まっていたと思う。

母が引っ越しの準備をしていても、父は何も手伝わなかった。
まるで自分は引っ越しをしないかのように、横でずっとテレビを見ていたという。

私も手伝いに行ったが、確かに父はずっと座っていた。

小さな仏壇があったのだが、それだけは業者ではなく私が段ボールに入れて台車で運んだ。
玄関を出るとき、父がふと言った言葉を今でも覚えている。

「急に元気がなくなっちゃったよ」

あの言葉は、今でも頭に残っている。

引っ越し当日は甥も手伝いに来てくれて、なんとか片付いた。
しかし、皆が動いている中で、父も母もただ座っているだけだった。

2026年3月15日日曜日

3日間のうどんと、消えるタクシー代。親の「贅沢」が私を削る

画像はAIGemini)で生成したイメージです


先日、母の様子を見に行ったとき、コタツの上にdocomoの3Gガラケーが置きっぱなしになっていた。


ほとんど使っていない。

電話が鳴っても出ないことが多い。


3G終了の話を聞いたとき、私は母に言った。

「もう契約しない方がいい」と。


スマホにすれば、月々の維持費は決して安くない。

今の生活に、そんな余裕はないはずだからだ。


もしかしたら、私は細かすぎるのかもしれない。

そう自分に問い直すこともある。


けれど、そう思わざるを得ない背景がある。


今の都営住宅に越す前、母からこう言われたことがある。


「毎月8万円、家賃を援助してほしい」


泣きながらの頼みだった。

だが、私は即座に断った。


自分の生活さえ危うい私に、そんな大金は到底出せない。


2026年3月14日土曜日

記憶の檻。父が「ひとり」を拒む本当の理由

画像はAIGemini)で生成したイメージです


 最近、母がふと漏らした。


「お父ちゃんは、認知症になってから一人になるのを異常に嫌がっている気がする」


かつての父は、仕事も家事もテキパキとこなし、何でも一人でできる人だった。

掃除も料理も、母よりマメだった。


そんな父が今、母が少しでも不在にすると、不安に駆られたように私に電話をかけてくる。


それは単なる「老い」や「病気」による不安なのだろうか。


私の記憶の断片を手繰り寄せると、別の景色が見えてくる。


2026年3月12日木曜日

身勝手な鏡。父が寝込み、母が少し笑う理由

画像はAIGemini)で生成したイメージです


昨日、2時間半かけて辿り着いた実家。


母の体調が気になり、今日もお昼前に受話器を取った。

まだ動けないのなら、せめてお弁当でも届けてあげなければ……そんな思いからだった。


電話に出た母の声は、まだ本調子ではなかった。

けれど、起き上がれていることに安堵したのも束の間、母は意外なことを口にした。


「今度は、お父ちゃんが戻して病院に行ったのよ」


耳を疑った。

2026年3月10日火曜日

2時間半かけて辿り着く実家。拒絶の果てに、母はまた耐える

画像はAIGemini)で生成したイメージです


昨日、介護サービスから届いた母の異変。

今日、私は重い体を引きずるようにして実家へ向かった。


普通なら40分弱で着く距離だ。


けれど、電車に乗ると猛烈な吐き気に襲われる私にとって、それは 2時間半の長旅 になる。

どの駅のどこにトイレがあるか、すべて頭に叩き込んである。


一駅進んでは降り、呼吸を整える。

実家に着く頃には、心身ともに削り取られていた。


実家に着くなり、父から電話で頼まれたポカリスウェットを渡す。


「買いに行ったけど、どこにもなかったんだよ」


そう言う父の足元には、きっと探しきれなかった現実が転がっている。


2026年3月7日土曜日

崩れる日常の足音。拒絶する父と、倒れた母

朝、介護サービスからの連絡で、日常は一瞬にして色を変えた。

母が朝から嘔吐し、寝込んでいるという。


急いで実家に電話を入れると、出たのは父だった。

「母さんは朝から寝てるよ」

至極のんびりとした、まるで危機感のない声だった。

救急車を呼ぶように伝えても、
「いいって言ってた」
と繰り返すばかりだ。

母のことだ。
入院となれば周りに迷惑がかかると考えて、無理をして「大丈夫」と言っているのではないか。

2026年3月6日金曜日

配役の変わる舞台。父にとっての「東京の彼女」と母の涙

水曜日の昼過ぎ、iPhoneが震えた。

画面に表示されたのは、母が以前入院していたときにお世話になった、古い友人の名前だった。


父がデイサービスに出かけ、母がひとりになる水曜日。

友人たちはその時間を知っていて、孤独を紛らわせるために電話をくれる。


私は一瞬、母の身に何かあったのかと身構えながら通話ボタンを押した。


「お母さん、電話で泣いていたよ」


友人の声は沈んでいた。

最初はいつもの調子で話していた母が、父の話題になった途端、堪えきれずに涙をこぼしたという。


「何十年も一緒にいて、何もかも忘れられちゃった……」

2026年3月2日月曜日

結局、みんな「他人事」なんだ。

父の病状が悪化し、1日2回の電話に追い詰められる日々の中で、最近痛感することがある。
それは、「世間というものは、どこまでいっても他人事でしかない」ということだ。


父や母の知り合いが、心配して母に電話をかけてくることがあるらしい。

だが、その内容は決まって薄っぺらな同情だ。

「区役所に相談してみたら?」

「もう、施設に入れちゃえばいいじゃない」


母から電話越しにその話を聞かされるたび、私の胸の奥にはどす黒い怒りが込み上げる。

「こっちだって、できることは全部やってるんだよ」

「一度も家に見に来たこともないくせに、簡単に言うな」


喉元まで出かかった文句を飲み込みながら、愚痴をこぼす母の話を聞く。

母の辛さはわかる。けれど、それをぶつけられる私の心も、もう余裕なんて1ミリも残っていないのだ。


2026年2月28日土曜日

22年前のあの日、私たちの家は一度壊れた

 前回の記事を書いてから、ずっと考えていることがある。

「もし、あの時あんなことが起きなければ、今の父はどうなっていただろうか」と。


かつて、両親は自営業で婦人靴の加工業を営んでいた。

朝8時から夜10時まで、休みも返上して働く背中を見て育った。やればやっただけ収入になる。端から見れば、それなりに余裕のある家だったはずだ。


けれど、2005年。あの夜を境に、私たちの時計の針は狂い始めた。


睡眠薬を大量に飲んだ姉

夜10時過ぎ、姉の子供からかかってきた一本の電話。

「ママがリビングで倒れた」

慌てて家を飛び出していった両親が戻ってきた時、顔は土色だった。

「朋美が睡眠薬を大量に飲んだ」

「いつ目を覚ますか分からないって言われた」


面会に言ってもICUのベッドで動かない姉。父は「俺が代わってやりたい」と泣きながら、何度も何度も姉の足をさすっていた。

その後、奇跡的に姉は目を覚まし、「ジジ、家に帰りたい」と言った。

その一言で、すべてが元通りになると信じたかった。

2026年2月27日金曜日

記憶の逆転。自分を愛し、最愛の妻を忘れた父

「画像はAI(Gemini)で生成したイメージです」

前回の記事を書いてからも、日常は何一つ変わらない。

1日2回、朝、夕と決まったリズムでスマホが震える。

表示される「実家」の二文字を見るだけで、胃の奥がキュッと収縮する。


受話器の向こうから聞こえるのは、やはり「伊勢崎に帰りたい」という枯れた声だ。

2026年2月24日火曜日

毎日かかってくる電話。「伊勢崎に行きたい」――認知症の父と、募る殺意の影

「画像はAI(Gemini)で生成したイメージです」


前回の記事を書いてから、少し時間が経った。

状況は好転するどころか、父の妄望と執着は日増しに強まっている。


今は毎日、決まった時間帯に父から電話がかかってくる。内容はいつも同じだ。


「お母さんが伊勢崎にいるから、伊勢崎に電話したいんだよ」

「伊勢崎に、たまには顔を見に行きたいんだよ」


父の中では、目の前にいる母は「東京の彼女」や「前から知ってる人」であり、本当の妻(母)は故郷の伊勢崎にいることになっている。


私はもう、何百回目になるかわからない返事を繰り返す。


「今、家にいるのがお母さんだよ。ババ(母)でしょ」

→ 「いや、あれは前から知ってる人だよ」


「伊勢崎に行ったって、もう誰もジジ(父)の面倒を見てくれる人なんていないよ」

→ 「……誰かいないかね」


出口のない会話。

否定しても、説明しても、父の作り上げた世界には届かない。


そして最近、この不毛なやり取りに、さらに私の心を抉る言葉が加わった。


「朋美が電話に出ないんだよ。朋美の電話番号教えてくれ」


私の姉、朋美が亡くなってから、もう22年が経つ。

父にとっては自慢の娘だった。けれど、今の父の頭の中では、彼女はまだどこかで元気に暮らしていることになっているらしい。


「朋美は、もう22年も前に亡くなったでしょ」


私がそう告げると、父は受話器の向こうで、心底驚いたような声を出す。


「えっ……。朋美、亡くなったのか?」


昨日も言った。先週も言った。先月も、その前も。

父はそのたびに、娘を失ったばかりの新鮮な衝撃を、22年分凝縮して受け止める。


そして数分後には、その衝撃ごとすべてを忘れ、また「朋美の番号を教えろ」と電話をかけてくる。


死者を何度も殺し、遺された者の心を何度も切り刻む。

これが、認知症という病気の本当の恐ろしさだ。


正直に言おう。

もう、心が擦り切れている。