先日、MacRumorsが報じた「折りたたみiPhone」のリーク情報に目が止まりました。ダミーモデルや図面から推測されるその姿は、期待を大きく裏切るものでした。
なんと、MagSafeやアクションボタンの非搭載、さらにはFace IDすら削られる可能性があるとのこと。30万〜40万円という史上最高額が予想される端末で、Appleがユーザーのために磨き上げてきた「当たり前」の機能を削るというのでしょうか。
Appleは折り目さえ見えなければ、薄ければそれで満足だと思っているのか。今の情報だけでは、正直言って驚きを通り越して、戸惑いしかありません。
Appleがユーザーを驚かせる側ではなく、他社の後を追って帳尻を合わせる側になってしまったのではないか。そんな不安が拭えません。
それは「進化」か、それとも「退化」か
Android勢に対してはかなりの「後出しジャンケン」でありながら、機能的にiPhone 17 Pro Maxに劣るのだとしたら、その存在意義はどこにあるのでしょうか。今のAndroid市場で話題のOPPOなどが実現している「折り目のなさ」や「薄さ」を超えるのは最低条件でしょう。
もし、単に画面が畳めるだけで、その大画面を活かした本格的なマルチタスクOSすら提供されないのだとしたら……。それは「使える道具」ではなく、ただの高価な玩具になり果ててしまいます。
Siriへの期待と、日本語入力の現実
最近、AppleのAI戦略にもモヤモヤを感じます。SiriからChatGPTやGeminiが使えるようになると話題ですが、それは結局、外部のサブスクリプションへの窓口になるだけではないのでしょうか。正直に言えば、私にとって今のSiriは、もう何年も使っていない、期待すら持てない存在です。
日本語入力についても同じことが言えます。1990年代、漢字Talk 7の頃からAppleの日本語変換(ことえり)は弱く、私たちはEGBRIDGEやATOKを頼りにMacを使ってきました。日本重視と言われながら、根幹の「文字入力」が進化しないままなのは、当時から何も変わっていません。
道具としての「正解」を求めて
今のリーク情報のまま発売されれば、YouTubeやネット記事は大絶賛するのでしょう。しかし、30万円を超える端末は、おいそれと買えるものではありません。中途半端なギミックに大金を払うより、私はもっと「夢」のある、たとえばApple 20周年モデルのような情報にこそ惹かれます。
Appleには、ただ流行を追いかけるのではなく、プロの道具としての矜持を見せてほしい。そう願わずにはいられないのです。