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| 近所で見た桜 |
桜を見に行った日。少しだけ「前に進めた」と思えた
昨日のブログにも書きましたが、桜を見に行ってきました。
テレビでは「満開」と言っていたので、期待をして頑張って桜を見に行きました。
桜を見に行くのに「頑張る」というのも変な話ですが、
人混みの中に出ていくことは、今の自分にとってはそれくらい勇気が必要です。
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| 近所で見た桜 |
昨日のブログにも書きましたが、桜を見に行ってきました。
テレビでは「満開」と言っていたので、期待をして頑張って桜を見に行きました。
桜を見に行くのに「頑張る」というのも変な話ですが、
人混みの中に出ていくことは、今の自分にとってはそれくらい勇気が必要です。
| ※この写真は以前撮ったものですが、今日はこの桜を見に行こうと思います |
金曜日、精神科に行った帰りもそう思いました。
それでも「親より早く死ねない」という理性が、辛うじて踏みとどまらせています。
でも、考えること自体がもう、耐えがたい苦痛です。
2019年12月、メンタルの病院に行きました。
かなり昔にお世話になったことはありますが、もう自分には縁がないと思っていた場所です。
正直、今でもよく分かりません。
なぜ自分が精神科に通っているのか。
本当に分からないんです。
2017年に体に異常を感じてから、精神科に行くまでの2年間。
他人から見れば甘いのかもしれませんが、自分なりに必死に頑張っていました。
それでも2019年、「精神科に行ってください」と言われたとき、
頭に浮かんだのは一つだけでした。
「え、自分が精神科?」
ただそれだけでした。
精神科が悪いわけではありません。
でも、世間からどんどん取り残されていく感覚だけは、はっきりとありました。
それでも最初は、まだ何とかなると思っていました。
面接にも行きました。
でも体調が悪くなるにつれて、できることが減っていき、
気づけばこう思うようになっていました。
「自分って、こんなに何もできない人間だったのか?」
そこからは、諦めることが増えていきました。
そして気づけば、毎日同じ問いを繰り返していました。
「何で生きているんだろう」
最近Xで話題の「SiriからChatGPTやGeminiが使える」というニュース。ついに高額なAIサブスクから解放されるのか?と期待してしまいますよね。
しかし、Mac歴30年の視点から言えば、サブスク級のAIが無料で使い放題になる未来はまず来ないと断言できます。そこにはAppleの巧妙な戦略があるからです。
Appleが狙うのは「タダ」ではなく「入口の支配」です。その理想と現実を整理してみましょう。
病院を出た時に見た桜
今日、メンタルクリニックに行ってきた。
薬をもらうことと、障害年金の更新のための「障害状態確認届」をお願いするためである。
いつもは10時30分からの予約だが、私は10時すぎに家を出て、10時5分くらいには着くようにしている。
理由は単純で、患者がいなければすぐに診察してもらえるからだ。
しかし今日は、前に2人待っていた。
最近、Apple界隈で大きな話題になっているのが「SiriとGeminiの連携」です。公式の対応を待たなくても、実は今すぐその「未来」を先取りする方法があります。iPhone標準の「ショートカット」アプリを使い、SiriからGeminiを魔法のように召喚する裏ワザをご紹介します。
明日はメンタルの病院です。1ヶ月ぶりです。
いつもは3週間ごとなのですが、今回は20日が祝日だったため、1ヶ月ぶりになりました。
これも少し不思議な話で、普通なら3週間後が祝日なら19日や21日に診察を入れてもおかしくないのではと思うのですが、その時の先生は「2週間後か1ヶ月後」と言いました。
よく分からないものです。
私はメンタルにかかるのは、実はこれが2回目です。
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| 小さい頃、祖父がブランコを押してくれた日の写真。 |
祖父はまだ、自分の状況を理解できる人だった。
2013年5月。
祖父と一緒に暮らしていた叔母が亡くなった。
それまで二人で暮らしていた祖父は、
一人では生活ができなくなり、介護施設に入ることになった。
祖父は約3年間、同じ施設にいた。
施設に入った頃は、
「少し認知症かな」という程度だった。
しかし3年の間に、祖父は私のことを忘れてしまった。
それでも私は、月に1回か2回、祖父に会いに行った。
行くときは必ず、195mlの紙パックのジュースを持っていく。
祖父はそれを両手でしっかり持って、
いつも美味しそうに飲んでいた。
金曜日にメンタルクリニックへ行き、障害年金申請のための診断書をお願いしなければなりません。あの8千円もする診断書一枚で、私の何が分かるというのでしょうか。
2年前、私は社会保険労務士を通して障害年金の申請を行いました。結果は、遡及(そきゅう)分に関して不支給。年金事務所から届いた通知書の裏面、そこには「決定の理由」が淡々と記されていました。
先日、GeminiをDockに置く「アプリ化」の小技をご紹介しましたが、実はもう一歩先の活用術があります。Dockすら汚したくない、もっと「Macの機能」としてシームレスにGeminiを使いたい。そんなミニマリストなMacユーザーに捧げる小技です。
【追記】この記事は2026年3月16日・11日にアップしたブログの続きです。
16日のブログで、昨年10月から続いていた痰(たん)の症状が、ようやく少し落ち着いてきたように感じています、と書きました。
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| ※画像はAI(ChatGPT)で生成したイメージです。 |
2025年9月13日。
カップ麺を食べている横で、iPhoneが震えた。母からだった。
「今すぐ実家に来て。お父ちゃんが、私のことが全然わからなくなってる」
夜中から、父は母の顔を見ても誰だか理解できず、写真を見せて説明してもダメだったという。受話器を代わった父に「そこにいるのはバアバでしょ」と言っても、どこまで理解しているのか怪しい。
私は死に物狂いで実家に向かった。
私は、自分を冷酷な人間だと思いながら、認知症の父に告げた。
「お父ちゃん、みんなに迷惑かけてるんだよ。もう施設に入ったほうがいい」
数年前まで、犬を連れて2時間も散歩し「悪いところなんて一つもない」と言っていた父は、もうそこにはいなかった。
父は「俺はどこでもいいよ。迷惑かけてるなら施設でもどこでもいいよ」と力なく答えた。
※画像はAI(Gemini)で生成したイメージです
Macを長く使っていると、ブラウザの「タブ」がどんどん増えて、どこに何があるか分からなくなること、ありませんか?
Gemini、YouTube、Gemini、Gmail、あるいは自分のブログ管理画面……。これらを「ブラウザの中の1ページ」ではなく、ひとつの「独立したアプリ」として扱う方法があります。
設定はわずか数秒。これだけで作業効率が劇的に変わります。
Apple純正のSafariを使っているなら、驚くほど簡単です。
1. アプリ化したいサイト(例:Google Gemini)を開く。
2. メニューバーの「ファイル」をクリック。
3. 「Dockに追加...」を選択する。
これだけで、Dockにそのサイト専用のアイコンが登場します。次からはブラウザを立ち上げることなく、Dockからワンクリックで起動。まるで専用ソフトのような佇まいになります。
父から電話がかかってくるたび、
心のどこかで「父が倒れたのではないか」と思う自分がいる。
そして画面に表示された名前が父だと分かった瞬間、
私は露骨に声のトーンを落とす。
きっと周りから見たら、私はとても冷たい人間に見えるのだと思う。
私が引きこもるようになった理由は、吐き気だけではない。
皮肉なことに、そのもう一つの理由は父にある。
お彼岸である。
姉や祖父母、叔母の墓参りには行けなかった。
体調の問題もある。
それでも何とか実家に顔を出して、
お線香だけはあげてきた。
もちろん、両親の体調の確認もあった。
実家に着き、お線香をあげた後、母に聞いた。
「お姉ちゃんの墓参り、行ったの?」
「17日に行ってきたよ」
正直、心の中では思った。
よく行けたな。
母は続けて言った。
「朝9時過ぎにタクシーで行ってね」
「年会費が12,000円で、タクシー代と花で7,000円以上」
「全部で2万円くらいかかったよ」
※画像はAI(ChatGPT)で生成したイメージです(iPhone Fold 予測図)
最近、私の周りでちょっと面白い現象が起きています。長年Macを使い続けてきた、いわゆる「Mac教」だった人たちが、次々とAndroidの折りたたみスマホに乗り換えているんです。
Galaxy Z FoldやPixel Fold。正直、数年前まではAndroidのUIって「ちょっと残念だな」と思う部分もありました。でも今は違います。いつの間にかUIもかなり洗練されていて、普通に美しい。ハードウェアのデザインもシンプルで、完成度も高い。そして何より、OSの自由度。これがやはり大きいんだと思います。
アプリを並べて使える。ウィンドウを動かせる。ちょっとしたPCのような使い方もできる。「スマホだけど小さなタブレット」という感覚。だからこそ、Macを長く使っていた人ですら「これは面白い」とAndroid折りたたみに移っているんでしょう。
そんな中でずっと気になっているのが、Appleの折りたたみiPhoneです。まだ正式発表はされていませんが、2026年秋に登場するのではないかという噂がかなり増えてきました。形としては、おそらくブック型。閉じると普通のiPhoneサイズ、開くと約7.8インチ。iPad miniに近いサイズ感になると言われています。
折りたたみスマホで一番の懸念点は「折り目」です。SamsungやGoogleも改善していますが、どうしても多少は見えてしまう。ただ今回の噂では、Appleはここをかなり本気で攻めているらしい。超薄型ガラスや特殊なヒンジ構造で、折り目が目立たないレベルを目指していると言われています。もし本当なら、触った瞬間に「これがAppleか」と思わせる力はあるでしょう。
ただ、私は思っています。それだけでは勝負にならないんじゃないか、と。
私が一番気になっているのは、やはりOSです。折りたたみiPhoneのベースは、iPadOSではなくiOSになるはず。そうなると、画面が広くなっただけで「やれること」が変わらなければ、単なる「大きいiPhone」で終わってしまいます。
噂では、開いた時にiPad風のUI(2画面並列やサイドバー)に近づくと言われていますが、iPadほどの自由度――複数ウィンドウを自由に開くといったレベルまでいくかは疑問です。結局のところ「iPad miniほど自由ではない」というあたりに落ち着く気がしています。でも、それでも普通のiPhoneよりは確実に面白い。そこは期待したいところです。
3アプリ同時表示やデスクトップ的な使い方など、自由度ではAndroidが一歩先を行っています。かつてUIで負けていたAndroidが今は普通に綺麗で、ハードも洗練されている。だから「Mac教」が乗り換えるのも理解できるんです。
ではAppleは何で戦うのか。私はやはり「体験の完成度」だと思っています。Mac、AirPods、Watchとの連携。iCloudでの同期。この「エコシステム」の気持ち良さは、やはりAppleが強い。折りたたみiPhoneも、この延長線上で「Appleならではの心地よさ」をどこまで出せるかが勝負になるはずです。
日本円で30万円を超えてきても不思議ではない価格。かなり高いです。でも、Appleには「最初の完成品を待っていた人」がそれだけ多い。折り目が目立たないのは魅力ですが、本当の勝負はOS体験。2026年、Mac教の人たちが戻ってくるのか、それともAndroidに留まるのか。その答えは、Appleが提示する「折りたたみの正解」次第です。
※本記事は2026年3月時点の噂をもとにした考察です。正式発表を楽しみに待ちましょう。
これは、私がiPhoneのメモに残しておいた記録をもとに書いている。
読み返すと、当時の張り詰めた空気や、心が削れていく感覚がよみがえる。
2021年の引っ越しから、2023年に生活が崩れていくまでの記録である。
実家が都営住宅へ引っ越し
この頃の父は、まだ母から話を聞かなければ認知症とは分からない程度だった。
しかし今振り返ると、異変はすでに始まっていたと思う。
母が引っ越しの準備をしていても、父は何も手伝わなかった。
まるで自分は引っ越しをしないかのように、横でずっとテレビを見ていたという。
私も手伝いに行ったが、確かに父はずっと座っていた。
小さな仏壇があったのだが、それだけは業者ではなく私が段ボールに入れて台車で運んだ。
玄関を出るとき、父がふと言った言葉を今でも覚えている。
「急に元気がなくなっちゃったよ」
あの言葉は、今でも頭に残っている。
引っ越し当日は甥も手伝いに来てくれて、なんとか片付いた。
しかし、皆が動いている中で、父も母もただ座っているだけだった。
最近の体調ですが、昨年10月から続いていた痰(たん)の症状が、ようやく少し落ち着いてきたように感じています。
※画像はAI(Gemini)で生成したイメージです |
先日、母の様子を見に行ったとき、コタツの上にdocomoの3Gガラケーが置きっぱなしになっていた。
ほとんど使っていない。
電話が鳴っても出ないことが多い。
3G終了の話を聞いたとき、私は母に言った。
「もう契約しない方がいい」と。
スマホにすれば、月々の維持費は決して安くない。
今の生活に、そんな余裕はないはずだからだ。
もしかしたら、私は細かすぎるのかもしれない。
そう自分に問い直すこともある。
けれど、そう思わざるを得ない背景がある。
今の都営住宅に越す前、母からこう言われたことがある。
「毎月8万円、家賃を援助してほしい」
泣きながらの頼みだった。
だが、私は即座に断った。
自分の生活さえ危うい私に、そんな大金は到底出せない。
※画像はAI(Gemini)で生成したイメージです |
「お父ちゃんは、認知症になってから一人になるのを異常に嫌がっている気がする」
かつての父は、仕事も家事もテキパキとこなし、何でも一人でできる人だった。
掃除も料理も、母よりマメだった。
そんな父が今、母が少しでも不在にすると、不安に駆られたように私に電話をかけてくる。
それは単なる「老い」や「病気」による不安なのだろうか。
私の記憶の断片を手繰り寄せると、別の景色が見えてくる。
画像引用:Apple Newsroom (apple.com/newsroom)
先日解禁された「10万円Mac」こと MacBook Neo について、思うところを雑談がてら書いてみたいと思います。
■ 私のMac遍歴と「借金トッシュ」
私は記憶にある範囲で、これまで以下のMacを購入してきました。多分かなり漏れているとは思うけれど、振り返ると凄まじいですね。
■ 私のMac購入遍歴
・PowerBook 170 25Mhz (1991-1992)
・PowerBook 180C 33Mhz (1993-1994)
・Centris 610 20Mhz (1993-1993) ※PowerPC 601にアップグレード
・Quadra 650 33Mhz (1993-1994)
・PowerMac 8200 120Mhz (1996-1997)
・PowerMac 9600 233Mhz (1997-1997)
・PowerMac G4 400Ghz AGP (1999-2000)
・PowerMac G4 dual 1.25Ghz (2004)
・PowerMac G4 Cube 450Ghz (中古)
・iMac 2.0Ghz (2005)
・iMac 2.93Ghz (2009)
・MacBook Air 11インチ (2014)
・MacBook Pro M2 (2023)
最初はまさに 「借金トッシュ」 でした。
速いMacが出れば次々と買い換える。
当時はMacを買うことは、車で言えば メルセデスを買うようなオーラ がありました。
※画像はAI(Gemini)で生成したイメージです |
昨日、2時間半かけて辿り着いた実家。
母の体調が気になり、今日もお昼前に受話器を取った。
まだ動けないのなら、せめてお弁当でも届けてあげなければ……そんな思いからだった。
電話に出た母の声は、まだ本調子ではなかった。
けれど、起き上がれていることに安堵したのも束の間、母は意外なことを口にした。
「今度は、お父ちゃんが戻して病院に行ったのよ」
耳を疑った。
そして本日、ついに「10万円Mac」と呼ばれる新型MacBook Neoの先行レビューが解禁されました。
ネット上では、
• 「Macの民主化」
• 「驚異の価格破壊」
• 「学生にとっての最強Mac」
といった言葉が並び、かなりの盛り上がりを見せています。
確かに、新品のMacBookが10万円(税込 99,800円)で買えるというインパクトは絶大です。
しかし、レビューを一通り読み、スペックや販売条件の細部まで確認した私の率直な感想は少し違いました。
「手放しで推すには、制約があまりに多すぎる」
これが正直なところです。
※画像はAI(Gemini)で生成したイメージです |
昨日、介護サービスから届いた母の異変。
今日、私は重い体を引きずるようにして実家へ向かった。
普通なら40分弱で着く距離だ。
けれど、電車に乗ると猛烈な吐き気に襲われる私にとって、それは 2時間半の長旅 になる。
どの駅のどこにトイレがあるか、すべて頭に叩き込んである。
一駅進んでは降り、呼吸を整える。
実家に着く頃には、心身ともに削り取られていた。
実家に着くなり、父から電話で頼まれたポカリスウェットを渡す。
「買いに行ったけど、どこにもなかったんだよ」
そう言う父の足元には、きっと探しきれなかった現実が転がっている。
昨日からのホームページ不具合で更新が遅れてしまったが、ようやく復旧した。お待たせした読者の方々には申し訳ない。だが、その間に情報はさらに確定し、私の結論もより強固なものになった。
漢字Talkの時代から30年以上、数々の伝説的モデルを見届けてきた私にとって、2026年3月5日に発表された「10万円のMacBook Neo」は、非常に複雑な後味を残すものだった。
水曜日の昼過ぎ、iPhoneが震えた。
画面に表示されたのは、母が以前入院していたときにお世話になった、古い友人の名前だった。
父がデイサービスに出かけ、母がひとりになる水曜日。
友人たちはその時間を知っていて、孤独を紛らわせるために電話をくれる。
私は一瞬、母の身に何かあったのかと身構えながら通話ボタンを押した。
「お母さん、電話で泣いていたよ」
友人の声は沈んでいた。
最初はいつもの調子で話していた母が、父の話題になった途端、堪えきれずに涙をこぼしたという。
「何十年も一緒にいて、何もかも忘れられちゃった……」
そして、決して届かない「もしも」の断片を、一つひとつ拾い集めては溜息をつく。
もし今、私にうつ病という鎖がなく、以前のように元気に働けていたなら。
母の肩に食い込む介護の重荷を、もっと軽くしてあげられたのではないか。
もし私に、あの頃のような蓄えがあったなら。
「どこか他に住むところはないか」と縋るような声で電話してくる父に、別の選択肢を提示してあげられたのではないか。
金を無心してきた姉に、突き放すのではなく、そっと余分に握らせてあげられていたら。
姉の人生もまた、違う色に染まっていたのではないか。
毎日、決まった時間にスマホが震える。
受話器の向こうの父は、今の生活から逃げ出したい一心で、同じ言葉を繰り返す。
「他にも住むところないかな?」
私はそのたびに、冷たく、残酷な現実を言葉にして返さなければならない。
「ないよ。その年齢じゃ部屋は借りられないんだよ」
「お金だって、ものすごくかかるんだよ」
父を突き放したいわけではない。
けれど、今の私には父の願いを叶える「力」がない。
かつての私は、大企業ではないにせよ、それなりの給与をもらい、自分の足でしっかりと立っていた。
一体どこで、私の人生の歯車は狂い、これほどまでに無力になってしまったのだろう。
数年前、亡くなった伯父の次男から兄が亡くなったからと「家の保証人になってほしい」と電話があった。子供の頃、よく一緒に遊んだ親戚のお兄さんだった。
そのお兄さんももう何十年もうつ病で無職だった。
けれど、うつ病で無職だった私には、自分一人の命を守るのが精一杯だった。
誰かの人生を背負う余裕なんて、ひとかけらも残っていなかった。
無碍に断るしかなかった。
その一年後、母から警察から連絡があり、彼は孤独死したと聞いた。
「病気だから、仕方ない」
自分自身でも何度もそう言い聞かせてきた。
けれど、理屈では割り切れない「情」が、胸の奥でずっと疼き続けている。
大切に思っているからこそ、何もできなかった自分がいる。
そして今も、何もできない自分がいる。
その事実が、刃のように胸を刺す。
お金があったとしても、何も変わらなかったかもしれない。
それでも、もう少し、何かできたんじゃないかと思ってしまう。
父に「いいよ、探してみようか」と言ってあげられる余白が、どこかにあったのではないかと。
今の私には、父の幻想を打ち砕く「現実」を突きつけることしかできない。
かつての自分が手にしていた「力」の残骸を数えながら、この無力の海で、今日をやり過ごしている。
鳴り止まない電話の着信音が、今日も部屋に響く。
まるで、私の無力さをあざ笑うかのように。