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配役の変わる舞台。父にとっての「東京の彼女」と母の涙

2026-03-06

水曜日の昼過ぎ、iPhoneが震えた。
画面に表示されたのは、母が以前入院していたときにお世話になった、古い友人の名前だった。

父がデイサービスに出かけ、母がひとりになる水曜日。
友人たちはその時間を知っていて、孤独を紛らわせるために電話をくれる。

私は一瞬、母の身に何かあったのかと身構えながら通話ボタンを押した。

「お母さん、電話で泣いていたよ」

友人の声は沈んでいた。
最初はいつもの調子で話していた母が、父の話題になった途端、堪えきれずに涙をこぼしたという。

「何十年も一緒にいて、何もかも忘れられちゃった……」

父の認知症は、少しずつ記憶を書き換えていく。
前回の記事で、私は“記憶の逆転”について書いた。
今まさに自分を支えている母が、父の中では「知らない人」に塗り替えられていく、その残酷さを。

けれど、第三者の口から聞かされる母の生々しい涙は、想像よりもずっと冷たく、重かった。

当の父は、相変わらずだ。

最近の執着は、かつて住んでいた伊勢崎から、少し形を変えて「私の家」へと向いている。
「今から遊びに行きたい」と電話をしてくる。

電車に乗らなければ来られない距離だと説明すると、父はあっさり言う。
「じゃあ、友達がいるからいいや」

そう言って電話を切る。

父の言う「友達」とは、いったい誰のことなのか。

電話の向こうで、母が「またくだらない電話をして」と呆れて口を挟む声が聞こえる。
おそらく父は、その声を聞いて安心し、満足して受話器を置いているのだ。

以前、父は母のことを「東京の彼女」と呼んだことがあった。

父の頭の中で、母の存在はくるくると姿を変える。
故郷にいるはずの「本物の妻」。
今そばにいてくれる「気のいい友達」。
そして、恋をした「東京の彼女」。

目の前にいるのは、何十年も共に歩いてきた、ただひとりの同じ人なのに。

父の壊れかけた万華鏡を通すと、母は一瞬ごとに違う誰かに配役されてしまう。

父にとってそれは、混濁した記憶が生み出した、新しい恋や友情のような、どこか救いを含んだ世界なのかもしれない。
けれど母にとっては、それはあまりに過酷な仕打ちだ。

あなたは「彼女」でも「友達」でもない。
この父の人生を、生活を、血のにじむ思いで支え続けてきた、たった一人の「妻」なのだ。

父が「友達がいるから寂しくない」と満足げに笑うとき。
その“友達”の隣で、たった一人の妻が、誰にも届かない声を上げている。

私のiPhoneに残った着信履歴。
それは、迷宮を彷徨う父の世界と、冷え切った現実の中に立つ母とをつなぐ、細くて重い一本の糸のように思えてならない。

それでも私は、今日も電話に出る。

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自己紹介

はじめまして、Mamoruです。

このブログのタイトル「MACLIFELab」は、はじめは「MACLIFE」としてスタートしました。その後、私自身のうつ病や父親の認知症などが重なり、サイトをまるっきり更新できない時期も長くありました。

そんな苦しい日々を送っていく中で、いまの私や認知症の父を支えてくれているのは、間違いなく「人」であり、そして「Mac」や「iPhone」でした。

接している人は少ないかもしれません。しかし、Appleやガジェットがくれる「時間」と「心の余裕」に、私は何度も助けられてきました。介護や体調管理という厳しい現実も、テクノロジーを上手に頼りながら、少しずつ生活を整えていく感覚で向き合っています。

日々の生活では、近くに住む父の認知症介護の手伝いや、自分自身のうつ病・脂質異常症(糖尿病予備軍)といった体調と向き合いながら過ごしています。体調が良い時の趣味は、ポケモンGOや近所の散歩です。

2012年から続けているこのブログでは、Appleの進化とともにテクノロジーと向き合いながら、「便利さの先にある自分らしい暮らし」をテーマに、自分の視点で率直に想いを綴っています。

ときにAppleやガジェットに対して辛口になることもありますが、それもすべて、一人の愛好家としてのリアルな感想であり、愛着の裏返しです。