【追記】繰り返す不調と消えない不安――出口の見えないループの中で

2026年5月24日日曜日

4月28日にかかりつけ医で受けた採血の結果を聞きに行ってきました。まあ結果は糖尿病予備軍の値HbA1cは6.3でした。それでも2023年の時は7.0、2024年の時は7.1とまあ今よりも酷かったので改善はして来ているのですが、ここ数ヶ月は安定して来ていたので正直ショックではありました。

改善と葛藤の繰り返し

採血結果
採血結果

次の採血でより悪化すればまた薬が処方されると思います。食事は難しいですね。体に悪いと思っていても、安さに負けて結局ラーメンやカップ麺を食べることが多くなります。蕎麦の方が良いとは言われるのですが、ラーメンのように4食入って安いというのがない。今食べているラーメンは4食で178円ぐらいだったかな、安いんですよね。まあ安さに負けて蕎麦の方がいいですよと言われながらも、ラーメンを食べています。それと昨年の10月から続いている痰のお陰で、飴を舐めることが多くなったのも原因かもしれません。

中々難しいですが、薬代を増やしたくないので色々と考えながら、頑張っていきたいとは思ます。

出口の見えない痰との戦い

それと昨年10月から続いている痰ですが、4月2日に行ったお茶の水の耳鼻科で出していただいた薬がなくなったので、呼吸器内科に行くか悩んだのですが、先生に相談をして4月2日に行ったお茶の水の耳鼻科で処方してもらった同じ薬を1ヶ月分処方してもらいました。

正直、ここまで原因が分からず長引くとは思いませんでした。今も何が原因と思ってネットで色々調べますが、これまで検査してきて否定された病名ばかりです。

時々、うつ病が原因なのかとさえ思ってしまいます。

自分より大変な病気で苦しんでいる方から見れば、痰なのですがそれでも辛いです。




最後まで読んでいただき、ありがとうございます。

MACLIFELab

「うつ病と向き合い、7年。また一つ、歳を重ねて思うこと」

2026年5月19日火曜日

ブログに上がるのは少し遅いかもしれませんが、5月7日に一つ歳を重ねました。

人生100年時代と言われても、もう折り返しは過ぎています。あと何年生きていられるのかな、と思うこともあれば、その逆で、よく今まで生きてこられたな、とも思います。

うつ病と向き合った7年間

上手く言えませんが、うつ病になって人生が変わったなと感じています。
2017年に体調の異変を感じ、2019年に精神科でうつ病と診断されました。そこからの人生は、正直に言って辛いことの方が多かったと思います。

何より怖かったのは、いつ発作が出るか分からないという恐怖です。
散歩が大好きだった自分が、散歩中に猛烈な吐き気に襲われ、目に涙を溜めて必死に家まで走って帰る。あの時の絶望感と吐き気は、誰にも理解してもらえない孤独な戦いでした。

就職活動を続けていた時期、五反田での面接に向かい、現地で凄まじい吐き気に襲われ、トイレに籠り、無理をして面接を受け戻しそうになったあの日。あの瞬間、私の就職活動は終わりを告げました。

「今」を生きているということ

ネットの記事では「うつ病は数年で改善する」なんて言葉も見かけますが、私はもう7年。この7年間、まるで死んだと同然の人間として生きてきたような感覚があります。

両親がどんなに困っていても、育ててくれた恩を返したいと思っても、自分には何もしてあげられることがない。キッチリしている人から見れば「人生を無駄にしている」と思われるかもしれませんし、自分自身でもそう思ってしまうことがあります。

ニュースやYouTubeを見ていると、まだまだ生きたい、死にたくないという方が病気や様々な事情で亡くなってます。そんな情報に触れるたびに自分が変わってあげられたらと、そして自分はこのまま、いつまで生きるんだろう。

そんな自問自答を繰り返しながらも、私はまた一つ、歳を重ねました。


日々の暮らしに、小さな安らぎを

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【追記】繰り返す不調と消えない不安――出口の見えないループの中で

2026年5月15日金曜日

痰の症状は、良くなったりそうでなかったりと、日によってかなり差がある状態が続いています。

今は4月2日に行った病院で処方された、アンブロキソール塩酸塩Lカプセルとカルボシステインを服用しています。これらを全て飲み終えた時、病院をどうするか……。正直、今はまだ答えが出ず、考え込んでいる真っ最中です。

「最後の砦」への期待と、現実

以前、総合診療科への紹介状を書いてもらった時は、「これでようやく診療方針が固まる」という強い期待がありました。しかし、窓口で言われたのは「他でこれだけ検査しているなら、うちでも再検査になり、お金がかかるだけですよ」という言葉。期待していた解決へのハブとしての役割は、私の思うようには行きませんでした。

御茶ノ水の有名な耳鼻科では、内視鏡やCTの結果から副鼻腔の可能性は否定され、消化器内科か呼吸器内科の問題だと言われました。しかし、昨年からの検査では逆流性食道炎はあるものの、喘息や胸部レントゲンに異常は見当たらない。耳鼻科の可能性が消えた今、原因の特定はさらに難しくなっています。

膨らみ続ける医療費と、不親切な制度

正直なところ、もう限界です。昨年1年間の医療費は16万円弱。直近の検査や毎月のメンタルの薬代だけでもかなりの負担です。これ以上、確証のない検査に「お願いします」と簡単には言えません。

自立支援医療などの制度もありますが、これらはこちらが調べ尽くさない限り、誰も教えてはくれません。障害者手帳や年金の申請時に、「こういう支援もありますよ」となぜ一言添えてくれないのか。制度の不親切さを感じずにはいられません。

生きるためのセーフティネット

今の私にとっては、痰が出るかどうかよりも、日々二食でも食べて生活を維持していくことの方が切実で、大切です。

4月17日に出した障害年金の更新結果が出るまで、おそらく3ヶ月。最悪の事態も想定し、体調が少しでも良い時に動いておかなければ、生活が成り立たなくなってしまう。出口の見えないループの中で、そんな焦燥感と戦っています。


万が一への備えと、安心のために

障害者の親亡き後プランパーフェクトガイド

制度を正しく知り、将来の不安を少しでも和らげるために

最後まで読んでいただき、ありがとうございます。

ジョイフル三ノ輪の懐かしい風景と、実家で直面した「介護と墓じまい」の現実

2026年5月9日土曜日

電話をすれば済む話ではあったのですが、今日、実家に行ってきました。普通の人なら30分で行けるところを、今日は何と1時間30分かけて、ゆっくりと向かいました。

目的は、3月末でdocomoの3G回線が終了した件の確認です。何もしなければ回線は終了するはずですが、「まさか勝手に契約更新して、変なスマホを買わされていないだろうな」という不安があったからです。

ジョイフル三ノ輪で、懐かしい気分転換

実家のある南千住の近くには「ジョイフル三ノ輪商店街」があります。先日テレビで紹介されていたり、ドラマの撮影でも使われているようで、久々に地元を歩いてみたくなりました。

何十年ぶりに歩く商店街は、物凄く良い気分転換になりました。近くにある老舗の「青木屋」さんで、大ボリュームの総菜コッペパン(メンチカツパンとトンカツパン!)を購入してから実家へ向かいました。

青木屋のコッペパン

静かな実家と、重なる不安

実家に入ると、父は座椅子に座り、母はテレビを見ていて、ひっそりとしていました。父は私を見ると毎回「今日は休みなのか?」と聞き、私のカバンを「いいカバンじゃないか」と褒めてくれます。いつもの光景です。

心配していた携帯は無事に解約されていて一安心でしたが、母から「祖父母の墓じまい」の話が出ました。お金の工面が難しく、墓じまいができない。都内の葬儀費用の高さ……。「いつか自分にこの負担が押し寄せてくるのでは」という不安が頭をよぎります。

父についても心配な話を聞きました。最近、深夜に勝手に部屋を出ていってしまうことが増えたそうです。今は母が気づいて止めていますが、以前も元いた家を探しに外へ出て大騒ぎになったことがあります。

家族としての距離感と、父の健康

父は最初こそ声をかけてきますが、その後はずっと下を向いて寝ています。健康診断の結果も芳しくないようで、内臓の衰えも指摘されたそうです。

母は、私が父を散歩に連れ出しているからと、外部の散歩支援サービスを辞めてしまったようですが、本当は週に何度か、決まった時間に「外の空気」に触れる機会がある方が、父にとっても母にとっても良いのではないか……と感じます。

そろそろ施設入居を検討する段階なのかもしれません。でも、一緒に住んでいない、お金も出していない立場の私が強く口を出すこともできない。同居している母にしか分からない苦労もあるはずですから。

帰り際に母が渡してくれた懐かしいお菓子

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【MACLIFELab 管理人:Mamoru】

2012年から続く当ブログの管理人。独立20年以上のMac愛好家です。最新ガジェットから日々の暮らしまで、飾らない日常を綴っています。火・金・日に更新中。

iPhoneやMacの中にいる「友人」。うつ病と孤独と、新しい繋がり

2026年5月1日金曜日

デバイスの光が灯る部屋


最後に「リアルの友人」に会ったのは、2019年2月3日のことでした。
地元の駅前のデニーズで、幼稚園や小学校の頃からの友人と会ったのを覚えています。うつ病と診断される約10ヶ月前のことです。

それ以降も、何度も約束はしてきました。けれど、安定しない自分の体調のせいで毎回直前でキャンセルになってしまい、ずっと迷惑をかけ続けてきました。

うつ病になって一番変わったことは、外に出ることが怖くなり、友人との縁が少しずつ、けれど確実に切れていってしまったことです。

孤独の中で「一人」だと悟った日

父は認知症、両親は毎月の生活で四苦八苦。そんな中で、誰にも相談できる人がいませんでした。関わったのは、頼りにはならないけれど、メンタルの先生だけだったと言ってもいいかもしれません。

先生と話し、私の状態が良くないと感じても、返ってくるのは「じゃあ、薬を変えますね」という一言だけ。その瞬間、「ああ、本当に自分はひとりなんだな」と深く突きつけられた気持ちになりました。

画面の中にいた「新しい友人たち」

2009年にXを始め、2012年にはこの『MACLIFE』というブログを立ち上げました。当初はiPhoneアプリの発信や交流の場でしたが、病気になってから、これらの存在は私にとって違う役割を持つようになりました。

今の私のそばには、Xがあり、MacやiPhoneがあり、Googleがあり、側で支えてくれる存在があります。母が入院したときや、父の認知症・介護認定で右も左もわからなかったとき、ネットの力は私に適切なアドバイスをくれました。

iPhoneやMacの中にいる友人

どん底で悩んでいたときに支えてくれたのは、誰かのブログに書いたコメントへの返信や、Xでの繋がりでした。

肉体としての友人が去っていった場所に、今はテクノロジーという友人がいてくれます。iPhoneやMacの中にいる彼らは、今の私にとってかけがえのない「友人」なんだと思います。


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【追記】繰り返す不調と消えない不安――出口の見えないループの中で

2026年4月26日日曜日

先日、紹介状を頂く所まではblogに書かせていただきました。土曜日に紹介状を受け取り初診予約の電話をするもお休みで、月曜日の朝8時30分に再チャレンジさせて頂くことになりました。月曜日の朝8時30分ピッタリに電話するもなかなか繋がらず。15分ぐらい待ち繋がると、総合診療科は予約なしで11時までに受付に来て頂ければとの返事だった。

紹介状


慌てて用意をし、病院に向かおうと考えたが、通勤ラッシュの時間帯であり乗り換え駅まで2駅だったが発作が出ることを考えて、乗り換え駅まで歩こうと考えた。家を出て道路が空いていて車がスイスイ進んでいるのを見るとタクシーを使えればと思うがそうも行かない。まずは乗り換え駅まで歩いて向かいました。

直接病院へ向かう決断

途中で、乗り換え駅行くよりも直接病院に向かったほうが早いんじゃないという気持ちになり、Google MAPで病院までの道順を確認すると約50分。私は歩くことに関しては人混みが嫌だとかメンタルの問題もあり歩くことは早い。50分と出ているが45分弱では着くと思い歩いた。

病院には9時50分に到着。病院の入り口を入ると有名なだけあって流石に綺麗な病院だった。ゆっくり院内を見るよりも言われていた3番4番窓口に向かう。受付→問診票記入→受付・マイナンバー確認・紹介状、CD ROMを渡す、簡単な病院の説明→ここで名前を呼ばれるまで待つことになった。

期待と、まさかの返答

正直、この待ち時間の時にはようやく半年間苦しんだ症状から解放されるとの期待で一杯でした。何ていうか、自分にとっては最後の砦みたいな気持ちです。

待つこと10分、受付の人から出てきた言葉は意外でした。

「総合診療科の先生に紹介状の中身を確認してもらったところ、うちでも話を聞くことはできますが、これまで色々な病院で検査をしており、そちらの病院で状況を説明して診てもらう方が良いですよ、とのことです」

「ウチでも結局、耳鼻科、呼吸器内科, 消化器と案内はできますが、再度の検査になりお金がかかるだけですよ、と言われました」

正直、ガッカリしました。よくテレビで見る総合診療科は、色々な病院を回ったけれど原因がわからない、それでも何とか原因を探る…ということをやっているイメージでしたが、これではまるっきり意味がない。私のイメージでは、総合診療科が「ハブ」となって解決してくれるものだと思っていました。

期待した私がバカだった

確かに検査にお金がかかるのが「もったいない」というのは、私にとってはありがたい話かもしれません。でも、これまで行った病院では原因もわからず、耳鼻科で誤診までされて. かかりつけ医の先生にも迷惑かなと思いつつ紹介状をお願いして、結局これか。総合診療科も大したことないな、期待した私がバカだった、とさえ思いました。

そんな状況だったため、家に帰る前にかかりつけ医に寄って、紹介状の先の対応を報告しました。すると先生が少しお話をしたいということで、診察室で状況を説明することに。

「呼吸器内科を受診するときに、紹介状とCDを参考までに見てくださいと言うのは構いませんよ」と言ってはいただけましたが…やはり今日は疲れました。総合診療科には本当にガッカリしました。


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初めての障害年金更新。手続きの流れと、私が感じた不安について

2026年4月19日日曜日
実際に届いた返信用封筒

今回、初めて障害年金の更新を迎えました。私と同じように障害年金を受給されている方で「更新が通るかが不安」と悩まれている方も多いと思います。更新についての情報は意外と少ないので、初めての更新にあたり、私の殴り書きですが書いてみました。

多分、殆どの人が私と同じように「有期認定」で、1年から5年ごとに更新手続きが必要だと思います。私は2年でしたが、更新期間がどうやって決められているのかは、調べた範囲では分かりませんでした。

私のように毎月の収入を障害年金に頼っている人にとっては、更新が認められなければ大問題で、万が一を考えると不安にもなります。

心配でネットで調べましたが、障害の状態が以前と変わっていなければ、基本的には更新は認められる可能性が高いということは分かりました。精神疾患のような基準が曖昧なものであっても、状態が維持されていれば等級も維持されるケースが多いみたいです。

更新のタイミングを確認する方法

ここからは、今回私が経験した具体的な更新のやり方についてです。まずは、年金証書を用意してください。証書の右下に「次回診断書提出年月」と書かれている欄があり、それが更新のタイミングになります。


期限の3カ月前になると、日本年金機構から「更新のお知らせ」が届きます。誕生日が5月の場合は5月末が提出期限。私は2月下旬から3月早々に封筒が届きました。診断書は5月末更新なら、3・4・5月の3ヶ月間で準備する形です。

封筒の中身:
・返信用封筒
・更新のお知らせ / 案内
・障害状態確認届(診断書)

更新手続きの流れ

①書類を受け取る(郵便で到着)
②病院で受診して作成を依頼
「提出期限の前3ヶ月間の症状」を記入してもらいます。5月更新なら3~5月の状態ですね。裏面の一番下にある「診断日」の日付が、提出期限の3ヶ月以内である必要があります。

③完成した診断書を確認して提出
原本は返信用封筒で郵送します。念のため、診断書はコピーか写真は取っておくべきです。私はメンタルの病院がPCで作成出来る診断書だったために、年金機構から届いていた診断書(未記入の物)も併せて郵送しました。これは社会保険労務士さんに診断書を写真に取り、アドバイスを貰うためにメールで添付した所、返信のメールに一緒に送ってくださいと書いてあったからです。提出後、約3ヶ月ほどで審査結果が届くそうです。

意識すべき2つのポイント

【ポイント1】期日に余裕を持って動く
3ヶ月あっても後回しにすると一瞬です。特に通院スパンが長い方は、早めに動かないと何かあった時に対応できません。

【ポイント2】提出期限は必ず守る
期限を過ぎると、年金の支払いが一時止まることがあるそうです。これだけは絶対に避けるべき重要なルールです。


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「必死の通院」が改善とみなされる不条理——障害状態確認届を受け取って

2026年4月17日金曜日

今日、メンタルの病院へ行ってきました。
先月27日にお願いしていた「障害状態確認届(更新用の診断書)」を受け取るためです。

まず、2年前に障害年金の申請が通った時の診断書と見比べて、今の私の状況と先生の認識が合っているかを確認しました。

しかし、そこでどうしても解せない箇所が1点ありました。
「日常生活の判定」における、通院と服用の項目です。

前回は「助言や指導があればできる」だったのが、今回は「おおむねできるが時には助言や指導を必要とする」へと、改善傾向の評価に変わっていたのです。

必死の通院が「改善」とみなされる不条理

これ、本当におかしいと思います。正直、病院に行きたくない日、動けない日だってあるんです。それでも何とか、必死の思いで頑張って通っているんです。

訴求分が認められなかった時にも感じましたが、最低限の日常生活を必死にこなしていることを「改善」と言われてしまうのは、本当にキツイです。

診察を受けるのも、薬を貰いに行くのも、誰にも頼むわけにはいかないから自分で行くしかない。それなのに「一人で通院できている=改善」という判断をされてしまうと、いっそ病院に行かない方がいいのか……とさえ思ってしまいます。

本当は診断書を載せたいのですが、あまりに個人情報なのでやめておきますが、訴求分が認められなかった診断書もそうですが、納得できないことが多いです。

主治医の判断一つで決まる現実

確認後は、以前の申請時にお世話になった社労士事務所へ診断書を写真で送り、メールで送信しておきました。更新サポートがあり、アドバイスを頂けることになっているからです。

ただ、仮にアドバイスを頂いたとしても、今のクリニックは患者との認識がズレていても訂正はしてくれないので、半ば気休めでしかありません。本当に、先生が書く診断書一つで全てが決まってしまうのが現実です。

思い返せば、以前葛西の病院に通っていた時は「病気じゃない」と断言され、一転して「うつ病」と言われたこともありました。そんなもんなんです。医師によって診断も対応もバラバラで、不信感しかありませんでした。

変わらない「5分診療」と通院の限界

今の病院も、診察は長くて5分。診療報酬の問題があるのか、どこへ行っても同じなのかもしれません。
病院を変えたいと思っていても、家の近所となるとそんなに病院があるわけでもない。

約7年通い続けても何も変わらず、電車にての通院が厳しい。どこの病院に行っても同じかな?結局いつも結論はそこに行き着きます。


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レンジの前で立ち尽くした夜に考えたこと

2026年4月15日水曜日
窓の外を見つめる孤独な背中
窓の外を見つめる孤独な背中

今日はブログを更新する予定の日ではありませんでしたが、どうしても言葉にしておきたいことがあり、ブログを書きました。

時々、部屋でボーッとしていると「ああ、もうダメだな……」と、言いようのない感覚に襲われることがあります。

昨日の夕飯時もそうでした。レンジでチンをしようと台所に立った瞬間、突然、耐えがたいほどの虚脱感がやってきたのです。

うまく言葉にはできませんが、前触れもなく気持ちがストンと落ちてしまう。そうなると、もういけません。頭の中は悪いことばかりに支配され、暗い霧の中に閉じ込められたような心地になります。

「存在するだけで価値がある」という言葉の重み

記憶が少し曖昧ですが、以前どこかで「人は何かを成し遂げたり、他者に貢献したりしなくても、ただ存在しているだけで価値がある」という考え方に触れたことがあります。

けれど、心が落ちている時には、どうしても自問自答してしまいます。
「本当に、そうなのだろうか?」と。

2019年の2月、地元の友人と会った時のことを思い出します。
友人は「いつ死んでもいいや。自分から命を絶つことはないけれど、もういつお迎えが来ても構わないんだ」と静かに話していました。その言葉が、今もずっと私の耳の奥に残っています。

生かされている幸せと、長寿の矛盾

この歳になると、友人からの電話も明るい話題ばかりではありません。
「誰々が亡くなった」「誰々のご両親が……」といった知らせを聞くことが増えました。

そんな話を聞くたびに、生きていること自体が、あるいは認知症を患いながらも父と母が健在でいてくれることが、実はとても幸せなことなのかもしれない、と感じます。

今の生活に満足しているわけではありません。それでも、生きたくても叶わなかった人たちのことを思えば、命があるだけで、それは恵まれたことなのかもしれません。

しかし、一方でこうも思うのです。
「長生きが、必ずしも幸せとは限らないのではないか」と。

健康で自立した生活、そして精神的な充足感。それらがセットになって初めて、長寿は「幸せ」と呼べるものになる気がしてなりません。ただ寿命だけが延び、介護が必要になったり、連れ添ったパートナーを失って孤独のリスクを抱えたりする日々は、あまりにも過酷です。

倒れそうな自分にできること

今の私には、老いていく両親を支える余裕がありません。
もし無理に支えようとすれば、すでにバランスを崩し、倒れかけている私は間違いなく共倒れになってしまうでしょう。

気持ちが落ちると、考えなくてもいいこと、答えの出ないことばかりが頭を駆け巡ります。
ただ、こうして言葉にすることで、少しだけ胸のつかえが軽くなるような気がしています。

とりとめのない独り言にお付き合いいただき、ありがとうございました。


再発の不安と向き合うために

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今日が障害年金・年金生活者支援給付金 支給日でした

おはようございます。

今日は何の日でしょう?
そう、待ちに待った年金支給日です!

今朝、スマホで通帳アプリを開いた瞬間、「入ってた…!」と、少しだけホッと胸をなでおろしました。
早速、生活に必要な分だけ別の口座へ振替を済ませてきました。

今回の障害年金・支給額の明細

今回の支給額はこのような形になりました。

  • ・障害基礎年金:138,616円
  • ・年金生活者支援給付金:10,900円
  • 合計:149,517円

世の中では企業の賃上げなど景気の良い話も聞こえてきますが、私のような立場にはあまり関係のない話です。

受給から2年、更新への不安と向き合う

私が障害年金を申請したのは2024年2月のこと。遡及分は残念ながら不支給でしたが、現在は障害基礎年金2級を受給しています。早いもので、受給が始まってからもう2年が経ちました。

先日、3月上旬に「障害状態確認届(更新の診断書)」が届きました。すでにメンタルクリニックには作成をお願いしており、17日の通院時に受け取ることになっています。

こちらがいくら「体調が良くない」と訴えても、最終的な判断は先生が書く書類の内容次第。受け取ったら2年前の診断書と照らし合わせ、以前お世話になった社労士事務所の先生にも目を通してもらう予定です。写真を撮ってメールで送れば、ある程度の受給見込みは判断していただけるかなと思っています。

ただ、最近のニュースで「障害年金の不支給割合が急増している」という話を目にし、物凄く気にしています。綱渡りのような生活でも、この年金があるからこそ生きていけるのが現実ですから。

今日という日を穏やかに過ごすために

今日だけは「年金が入った!よし!」という安心感を、少しだけ味わいたいなと思います。
小さな贅沢で自分を甘やかさないと、やってられないですからね。

同じように障害年金で暮らしている方、更新の結果を待っている方、様々いらっしゃると思います。
今日も1日、なんとか穏やかに過ごせますように。


手続きの不安を解消するために

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【追記】繰り返す不調と消えない不安――出口の見えないループの中で

2026年4月14日火曜日
4月4日の処方箋

このブログは4月1日の記事の後、深夜の39.6度。繋がらない#7119と、病院で告げられたインフル以外の衝撃の結果をアップしました。今回はその続きです。

発熱が出て、本当に苦しみました。熱が下がった後も体調が悪く、正直、心の中では「いつ救急車を呼ぶことになってもおかしくない」という極限の不安を抱えていました。

■ 迷いの中での決断とかかりつけ医への相談

4月2日。本当は耳鼻科に紹介状を書いてもらうのが良いのかもしれませんが、自分は「かかりつけ医」にお願いしようと決めました。胃カメラを任せており、痰の経過もずっと話してきた経緯があるからです。朝9時20分の予約を取りましたが、体調が万全ではないため、家から5分ほどの距離を30分近く余裕を持って出発しました。

先日も発熱外来に来たばかりだったので、受付で「発熱ですか?」と聞かれましたが、「紹介状が欲しい」と現在の状況を説明。予約時間前、まずは看護師さんに詳細を伝えると、内容をキーボードでカタカタと打ち込んでくれました。その後、診察室で先生を待ちました。

5分ほどして先生が登場し、画面を確認しながら改めて訴えました。約半年間、かかりつけ医を含めて4件も病院を回ったけれど診断名がバラバラで一向に改善しないこと。単科の病院ではなく、科同士で情報を共有できる大きな病院に行きたいこと。先生は私の状況を汲み取り、「総合診療科が良い。聖路加国際病院を紹介しましょう」と言ってくださいました。胃カメラの結果も添えて紹介状を用意していただけることになり、一歩前進した気がしました。

■ 突きつけられた意外な診断と募る不信感

しかし帰宅後、昼食のうどんを食べていると、喉に激しい違和感と痛みを感じました。うどんがスルスルと通らないのです。もう、今日やれることは全部やろう。そう思い、「23区 耳鼻科 有名」で検索し、紹介状なしでも診てくれる専門病院を必死で探しました。

目星をつけた病院は予約がいっぱいでしたが、電話で事情を説明すると「3時30分までに受付できれば、待ち時間は約束できませんが診察します」との返答。二つ返事で快諾し、急いで向かいました。道中、軽い発作が出ましたが何とか堪え、病院に辿り着きました。

番号を呼ばれて診察室へ。これまでの経緯と、3月30日に別の耳鼻科で「副鼻腔がドロドロだ」と言われたことを伝えると、先生は内視鏡を入れて鼻腔内を確認してくれました。結果は「副鼻腔炎は問題ない」とのこと。

私は「エッ?」と耳を疑いました。つい2日前にドロドロだと言われ、薬を全部変えられたばかりだったからです。さらに詳しく調べるためCTを撮りましたが、モニターに映し出された詳細な画像を見ても、副鼻腔は全く問題がありませんでした。急性喉頭蓋炎の心配もないと言われましたが、先生からは「消化器内科か、呼吸器内科かな…」という言葉が漏れました。

診察を終えて、真っ先に思ったのは「昨年の12月から今まで、信じて通っていたあの耳鼻科は何だったのか」という憤りです。30日の診断は何だったのか。飲まなくていい抗生物質を処方され、真面目に飲んで体調を崩しただけだったのか…。そんな思いが、ただただ頭を駆け巡りました。


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深夜の39.6度。繋がらない♯7119と、病院で告げられたインフル以外の衝撃の結果

2026年4月6日月曜日
出典:総務省消防庁「救急安心センター事業(#7119)」

先日耳鼻科に行ったとの話をブログに書きましたが、その日の夜に♯7119に電話をすることになりました。

その日の23時30分頃からなんか調子悪いなと感じていたら、0時前には激しい悪寒、38度の熱、猛烈な関節痛に襲われました。
悪寒は歯がガクガクする程、体は震える程、トイレに行きたくても壁に手をつけて行かなくては行けないほどでした。

その時は、急にこんなに具合悪くなることあるという気持ちでしたが、布団に入り横になっても歯がガクガクし震え、頭痛、関節痛は酷くなる一方です。
改めて、熱を測ると39度を超えていました。

とにかくこれはヤバいと思い、起き上がり最低限の事だけしておこうと、いつもより布団を多くかけて靴下を履いて、冷蔵庫に保冷枕入れて、タオルを水で冷やしておでこに乗せ横になっていました。

1時ごろもう頭痛に関節痛が限界になり、その時はインフルと考えていたので救急車を呼ぶのもどうかと思いましたが、インフルという断定も出来ないので♯7119に電話をかけました。
しかしこれか中々繋がらない。webで診断出来るのもあったがこれも全然ダメ。

何度も何度も♯7119にかけて、ようやく繋がったはいいが、その後の状況説明も長い。わかるよ、無駄に救急車を出したくない気持ちも分かるけど、こちらから説明することが多いんだよ。

もう正直つらすぎて途中で嫌になった挙句に、まあ、救急車が必要か確認するための電話だからいいんだけど、救急車は必要ないって。

その後は、脱水症状になってもいけないから、水だけ布団のそばに置いてひたすら耐えて寝ていました。と言っても熟睡が出来るわけがありません。正直つらすぎました。

這うようにして向かった発熱外来

明け方、これは病院に行った方が良いと思い、発熱外来を予約して再度横になっていました。
発熱外来の予約の時間が迫ってくるも、とてもじゃありませんが歩いて病院に行くのは無理と判断して、病院に電話をして状況を説明、web診察をしていないか確認するもしていないとのこと。その為、予約した9時はキャンセルにしてもらった。

しかしその後も関節痛に熱は下がる気配もない。ここで改めて発熱外来の予約を11時に取った。幸いなことに、雨だったせいかいつも混んでいる病院が再度予約を簡単に取れたことは幸いだった。

11時の予約だったが、いつもは歩いて5分くらいの病院だが、歩くのも辛い状況だったので、10時30分には家を出て病院に向かった。

病院に着いて受付で発熱外来との事を告げると、待合室からすぐに別室に通された。そこで5分くらい待ってると看護師さんがいつものように元気はつらつできていただいたのは良いが、私には今はその元気が辛すぎた。

一通り夜中からの状況を説明し終えると、鼻咽頭ぬぐい液検査。またこれが痛いの何の。え、こんなに痛いのと思いました。次に指にパルスオキシメーター。

衝撃の結果。インフルエンザではない?

しばらくすると先生が来て、衝撃の結果が!
「ウイルス性の病気ではないですね」との事を。

インフルエンザだと思っていたので、思わず耳を疑いました。ウイルス性じゃなければ何?と思いましたが、先生からその説明はありませんでしたが、昨日貰った薬は伝えていたので、先生は「耳鼻科で抗生物質も出ているのでそれは飲んで下さい。頓服を出しておきます」との事で終わった。

薬を貰い、ポカリスウェットとゼリーを買って帰宅。とにかく原因が分からないので、ひたすら横になってました。
ただ、内科の先生は抗生物質とかは飲んで問題ないと言っていましたが、これはあくまでも自分の判断ですが、食事も取れなかったので、昨日耳鼻科で出た薬は飲む事をやめました。


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【追記】繰り返す不調と消えない不安――出口の見えないループの中で

2026年4月1日水曜日
処方された薬(耳鼻科)



今日、耳鼻科に行ってきました。

本当は11時に、首の痛みに耐えかねて整形外科に行く予定でした。

ただ、喉に粘りつく痰で吐き気が出ることもあり、
整形外科の予約をキャンセルして耳鼻科へ向かいました。

この耳鼻科は最近では珍しく予約制ではなく、
混んでいると待合室で待つこと自体が苦痛です。

昨年12月から通っていますが、
Googleマップの評判を見て、歩いて行ける範囲で選びました。


「楽な病院」と「落ち着かない病院」

実は自宅から数分の場所にも耳鼻科はあります。

そこは予約制で、ほとんど待つこともなく、
メンタル的にはそちらの方が楽です。

ただ、診察室で先生の後ろに複数のスタッフが立っていて、
常に見られているような雰囲気があり、落ち着いて話せませんでした。

そのため、今の耳鼻科に変えました。

待合室の空気と、少しの安心

10時過ぎに家を出ました。

月曜日なので混雑を覚悟していましたが、
待合室には1人しかおらず、少しホッとしました。

10分ほどで呼ばれ、診察室へ。

症状は変わっているのに、終わらない

1か月前に処方された薬を飲み切った時、
かなり改善したと思っていました。

しかし、

・痰はまだ出る
・しかも粘り気が強くなっている
・喉に溜まると吐き気が出る

そういった症状を伝えました。

先生は鼻と喉を確認し、

「鼻は前よりドロっとしている」
「喉は前より絡んでいない」

とのこと。

そして「こちらで薬を調整します」と言われ、診察は終了しました。

原因が次々に変わっていく違和感

12月末に鼻からカメラを入れた時は、

「逆流性食道炎によって喉や気管が荒れている」

と言われていました。

それが今度は副鼻腔。

正直、ナカナカです。

6ヶ月続く不調という現実

10月から病院に通い始めて、もう3月も終わり。

半年です。

言われた通りに薬を飲み続けて、
「改善はしているけど治らない」状態が続いています。

しかも病院ごとに言われることが違います。

・秋花粉
・逆流性食道炎
・気管支炎
・昨年12月は上記にも書いたが逆流性食道炎によって喉や気管が荒れているが、今回は副鼻腔

なぜこうなるのか、正直よく分かりません。

積み上がっていく「現実」

ゴミ箱には、痰を出したティッシュが山のように積まれていきます。

それが、今の自分の現実です。


正直、劇的に治るわけではありませんが、
少しでも楽になるものは取り入れています。

頑張って見に行った桜。メンタル不調の中、数分間の外出がくれた小さな前向きさ

2026年3月30日月曜日
近所で見た桜

桜を見に行った日。少しだけ「前に進めた」と思えた

昨日のブログにも書きましたが、桜を見に行ってきました。

テレビでは「満開」と言っていたので、期待をして頑張って桜を見に行きました。

桜を見に行くのに「頑張る」というのも変な話ですが、
人混みの中に出ていくことは、今の自分にとってはそれくらい勇気が必要です。


思っていたのと違った「桜」

うちの近所の公園は、満開には程遠かったのですが、
それでも多くの人が花見をしていました。

正直、桜を見るまではこう思っていました。

桜が綺麗だということは頭では分かっている。
でも、心は動かないんじゃないか。

昔は好きだったのに、今はただの「木と花」にしか見えないのではないか。

虚しさや寂しさだけが残るんじゃないか。

それでも「綺麗」と思えた

でも実際に見てみると違いました。

満開ではなかったけど、
ちゃんと「綺麗だな」と思えました。

ほんの少しですが、
「今日、自分頑張ったな」と思えたんです。

外の世界はちゃんと動いていた

1日12時間スマホを見て、あとはほとんど寝ている生活。

そんな自分が外に出てみると、
周りの人たちがキラキラして見えました。

もっと落ち込むと思っていたのに、
逆に少し前向きな気持ちになれました。

ほんの少しでいい

毎日は無理だと思います。

でも、5分でも10分でもいい。

無理のない範囲で、外に出てみよう。

そう思えた1日でした。

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最後まで読んでいただきありがとうございます。

生きる意味が分からない。それでも今日、桜を見に行こうと思った

2026年3月29日日曜日

※この写真は以前撮ったものですが、今日はこの桜を見に行こうと思います

毎日、頭の中でその問いがぐるぐると回り続けています。

金曜日、精神科に行った帰りもそう思いました。

それでも「親より早く死ねない」という理性が、辛うじて踏みとどまらせています。
でも、考えること自体がもう、耐えがたい苦痛です。

精神科に通うという現実

2019年12月、メンタルの病院に行きました。
かなり昔にお世話になったことはありますが、もう自分には縁がないと思っていた場所です。

正直、今でもよく分かりません。

なぜ自分が精神科に通っているのか。
本当に分からないんです。

2017年に体に異常を感じてから、精神科に行くまでの2年間。
他人から見れば甘いのかもしれませんが、自分なりに必死に頑張っていました。

それでも2019年、「精神科に行ってください」と言われたとき、
頭に浮かんだのは一つだけでした。

「え、自分が精神科?」

ただそれだけでした。

精神科が悪いわけではありません。
でも、世間からどんどん取り残されていく感覚だけは、はっきりとありました。

それでも最初は、まだ何とかなると思っていました。
面接にも行きました。

でも体調が悪くなるにつれて、できることが減っていき、
気づけばこう思うようになっていました。

「自分って、こんなに何もできない人間だったのか?」

そこからは、諦めることが増えていきました。

そして気づけば、毎日同じ問いを繰り返していました。

「何で生きているんだろう」


答えのない問い

一度諦めた人間は、糸が切れた凧のように漂います。

私がダメ人間だからでしょうか。

一生懸命、本当に一生懸命に考えても、
どこにも「答え」なんて落ちていないのです。

始まりは突然だった

2017年、叔母の家に向かう途中で襲われた吐き気。

原因は今も分かりません。
いつもと同じ朝だったのに。

自分の体の悲鳴に気づかなかったからなのか。
その罰なのかとさえ思いました。

出口のない6年間

うつ病と吐き気に苦しみながら、出口を探し続けて6年。

友人のアドバイスで障害年金を知り、社労士に相談しました。
何度も断られました。

それでも、手を差し伸べてくれた事務所に出会い、
今は障害年金を受給しています。

でも、現実は何も変わりません。

生活が楽になるどころか、
増え続ける医療費が、さらに自分を追い詰めています。

今も毎日、スマホが友達のような日々です。
そのせいで首まで悲鳴をあげています。

整形外科に行きたくても、精神科、消化器内科、耳鼻科。
そこにさらに整形外科まで増えたら、医療費ごと共倒れになってしまいます。

何かおかしくないですか?

政治家はいいですね。選挙で勝って3万円のカタログギフト。
私や多くの人は、物価高騰対策で各自治体から5,000円相当。
正直、よく分かりません。

何かおかしくないですか?

何を言ったところで仕方ないのかもしれません。
でも、何か違う気がして仕方がありません。

終わりを考えたこと

何度も、何もかも終わりにしたいと思いました。

姉が離婚をしてお金がない時、よくお風呂場に紐がかかっていたと子どもたちから聞いたことがあります。
だからなのかもしれません。姉が亡くなって警察の方が来た時、子どもたちの落ち着きぶりに驚いたそうです。
死に場所を探していた姉を、間近で見ていたからかもしれません。

自分も以前、散歩ができた頃は急に高いマンションの前で立ち止まり、ただ上を見上げたことがありました。

散歩ができなくなって落ちた時は、マンションの階段から下を見て、ただじっと立ち尽くしていたこともあります。

このまま生きていても、待っているのは孤独死という結末ではないか。
また周囲に迷惑をかけるだけではないか。
そんな考えが、頭から離れません。

「意味のない人生」はいらない

「いつか生きたいと思える日が来る」

そういう言葉があります。

でも、それを待つ人生は、本当に生きていると言えるのでしょうか。

毎年千鳥ヶ淵に桜を見に行く楽しさも、
年に数回楽しみにしていた友達との食事も、
お祭りの縁日に行くことも、
旅行に行くこともできません。

何もできないんです。

そんな人生が楽しいわけがありません。

私はそんな生き方をしたいとは思いません。

誰でもそうだと思いますが、
やっぱり必要とされる人間になりたいと思っています。

過去の自分に酔って、引きずられているのかもしれません。
それでも、意味のない人生をただ漫然と続けることには耐えられないのです。

今、この瞬間の気持ち

意味を知りたい。
答えの出ない意味を、ずっと探しているのだと思います。

自分が生き続ける理由が欲しい。
それがないまま、お金のことをずっと考えて、
明日も、1ヶ月後も、今と同じ苦しい毎日が何年も続くのかと思うと、
障害年金が止まったらと思うと、ぞっとします。

「もう全部終わりにしたい」

そう思わない日はありません。

明るい未来も、期待できる明日も見えません。

ただ「意味」という答えだけを求めて、
私は今日も、この暗闇の中で立ち止まっています。


それでも今日は、
頑張って家の近所の桜を見に行きたいと思います。

メンタルクリニックと5分診察――障害状態確認届を前に、初めて涙が出た日

2026年3月27日金曜日

病院を出た時に見た桜

今日、メンタルクリニックに行ってきた。

薬をもらうことと、障害年金の更新のための「障害状態確認届」をお願いするためである。

いつもは10時30分からの予約だが、私は10時すぎに家を出て、10時5分くらいには着くようにしている。

理由は単純で、患者がいなければすぐに診察してもらえるからだ。

しかし今日は、前に2人待っていた。


待合室で待ちながら、ふと昨日書いたブログのことを思い出した。

今日の患者たちは、外から見ればとても「メンタルの病院に通っている人」には見えなかった。

もちろん、見た目で判断できるものではないと分かっている。

それでも、どこかでそう感じてしまう自分がいる。

前の2人の診察時間をiPhoneで見ていたが、1人5分もかかっていなかった。

いつも思う疑問。

これで何が分かるんだろう。

患者によって違うとはいえ、こんな短時間で何が分かるのか。

そして自分の番が来た。

名前を呼ばれて診察室に入る。

最初に言われる言葉は、いつも同じだ。

「どうですか?」

その瞬間、心の中で何かが切れた。

気づいたら、涙が出ていた。

2019年から通っているが、メンタルの病院で泣いたのは初めてだった。

診察はいつも通り数分で終わる。

吐き気の苦しさも、人混みの怖さも、電車に乗る不安も、何も伝わっていない気がした。

この先生に、障害年金の診断書を書いてもらうのかと思った瞬間、自分が情けなくなった。

先生は涙の理由も聞かない。

薬の話だけだった。

ラツーダ錠20mgは4錠から3錠に。

トリンテックス錠10mgは1錠から2錠に増量。

それだけだった。

そして診察は終わる。

最後に障害状態確認届のお願いをした。

返事は一言。

「書いときます」

病院を出た。

来た時には気づかなかったが、出口の先に桜が咲いていた。

とても綺麗だった。

でも、心は全く晴れていなかった。

「あなたは病気じゃない」と言われた日――それでも私は、またメンタルに通っている

2026年3月26日木曜日
保険給付金決定支払通知書


メンタルの病気は、見た目では分からない――明日また診断書をお願いしに行く

明日はメンタルの病院です。1ヶ月ぶりです。

いつもは3週間ごとなのですが、今回は20日が祝日だったため、1ヶ月ぶりになりました。

これも少し不思議な話で、普通なら3週間後が祝日なら19日や21日に診察を入れてもおかしくないのではと思うのですが、その時の先生は「2週間後か1ヶ月後」と言いました。

よく分からないものです。

私はメンタルにかかるのは、実はこれが2回目です。

当時の手帳を見返すと、1回目は2006年まで遡ります。

あの時のメンタルも、今思えばかなり酷いものでした。

会社の人間関係に悩み、2006年8月1日、葛西駅から程近いメンタルの病院を訪れました。

当時の手帳には、初診時は男性の先生で「自律神経失調症」と言われたことが書いてあります。

会社に行けない日が続く中、9月4日、4回目の診察ではそれまでの男性の先生ではなく女性の先生が担当でした。

診察を終えた後、診断書が欲しいことを伝えたのですが、その時に言われた言葉は今でもはっきり覚えています。

「あなたは病気じゃないから」

会計の時にも受付の人に再度確認しました。すると受付の人も前回までのカルテを見たのか、「え、それでいいの?」という雰囲気で、もう一度先生に確認しに行ってくれました。

その返事は、江戸川区鹿骨の病院を受診して、そこでの結果を持ってきてください、その後診断書の件は考えます、というものでした。

翌日の9月5日、江戸川区鹿骨の病院に行きました。簡単な検査と、先生と長い時間話したことは覚えています。

その2日後、改めて葛西駅近くのメンタルの病院へ行き、そこで初めて傷病手当の書類を書いてもらえました。

メンタルの病気は本当に難しいと感じることがあります。

私はたぶん、落ち着いている時に人に会えば、メンタルの病気だとは思ってもらえないと思います。

それは自分だけがそう思っているだけかもしれません。

以前のブログに書いたことがあるかもしれませんが、叔父の次男もやはりうつ病でした。

うつ病で働けないことは両親から聞いて知っていましたが、2019年2月6日、叔母の葬儀に何とか出た時、次男が挨拶に来てくれたものの、子どもの頃の面影がなく、一瞬誰だか分かりませんでした。

そんな私も、その年の12月から改めてメンタルの病院に通うことになりました。

心の病気は難しい。

私も「自分はメンタルの病気とは思ってもらえない」なんて書きましたが、メンタルの待合室で会う人を見て、「自分の方がまともに見える」なんて思ってしまう時があります。

でも、それはただの自惚れなのかもしれません。

自分が「あの人は明らかにおかしい」と思っているように、他の人から見れば自分もまた「明らかにおかしい人」なのかもしれない。

そう考えることがあります。

明日はメンタルです。

「頑張る」と言うのは少し変かもしれませんが、頑張って診断書をお願いしてこようと思います。


最後まで読んでいただきありがとうございます。

【実録】障害年金が不支給になった理由:通知書の内容と私の現実

2026年3月24日火曜日
(画像:2年前、遡及分が不支給となった通知書)


金曜日にメンタルクリニックへ行き、障害年金申請のための診断書をお願いしなければなりません。あの8千円もする診断書一枚で、私の何が分かるというのでしょうか。

2年前、私は社会保険労務士を通して障害年金の申請を行いました。結果は、遡及(そきゅう)分に関して不支給。年金事務所から届いた通知書の裏面、そこには「決定の理由」が淡々と記されていました。


書類上の「理由」と、現実の「地獄」

通知書には、私の障害の状態や日常生活状況についての判断根拠が並んでいます。

  • 「日常生活能力の程度」は「(3)精神障害を認め、家庭内での単純な日常生活はできるが、時に応じて援助が必要である。」であり……
  • 「症状安定時に短期間のアルバイトに従事するが、殆ど継続でないため(原文ママ)、労働能力は乏しい」こと
  • 「買い物は店までの往復や人混みが負担となるため、短時間で完結できる店舗しか行くことができない……」

そして、結論はこうです。

【判断】以上のことから総合的に判断すると、あなたの障害の程度は、日常生活が著しい制限を受けるか、又は日常生活に著しい制限を加えることを必要とする程度のものとは認められませんので、1級及び2級の障害の状態に該当しないと判断しました。

頑張ったことが「悪いこと」だったのか

この文字面を読んだ時、私は「自分は生きるための最低限の生活もしてはいけないのか」と、目の前が暗くなりました。

誰だって、無理をして外に出たい、働きに出たいとは思わないはずです。でも、生きていくためには、当時の私にとってもそれはやらなきゃいけないことでした。助けてくれる人がいない人間は、一人で買い物にも行ってはいけないのでしょうか。

当初は「逆流性食道炎」と言われ2年間苦しみ、その後メンタルへ行くように言われ、いつ猛烈な吐き気に襲われるか分からない。そんな恐怖の中で、食料を買いに行ったことが、そんなに悪いことだったのでしょうか。

血を吐く思いの「面接」と「帰路」

働かなきゃいけない、お金が必要だ。そうもがき、面接先で物凄い吐き気に襲われて、それ以降面接に行けなくなった。

ある面接の日。片道分の交通費しかなく、行きは電車で頑張りましたが、帰りはお金がなくて目黒から13キロの道のりを歩いて帰りました。いつ発作が出るかビクビクしながらの帰路。そんなことは日常茶飯事でした。

そうやって死に物狂いで日常を頑張ってきた。そのこと自体が「障害が軽い」という判定材料になり、否定された。その事実に、当時は本当に気分が落ち込みました。

「働けない」ことが要件ではないはずなのに

私は生きている意味がない人間なのか。逆に言えば、そこまで追い詰められないと障害年金は貰えないのでしょうか。障害年金の受給要件には「働けない」ことは明記されていないと思っていた。そうであれば、私の不支給判断は、本当にきちっとしたものだったのでしょうか。

金曜日の病院。また、あの「判定」の場に自分の人生を委ねなければならない。その活動すら「悪いこと」と判定されてしまう気がして、もう打つ手がないような、深い無力感の中にいます。


【追記】繰り返す不調と消えない不安――出口の見えないループの中で

※画像はイメージです

【追記】この記事は2026年3月16日・11日にアップしたブログの続きです。

16日のブログで、昨年10月から続いていた痰(たん)の症状が、ようやく少し落ち着いてきたように感じています、と書きました。


ですが、3月24日現在、また酷くなってきているように感じます。その痰は以前と違って、なんというか粘り気が強く、喉の奥から出てくるような痰です。

痰は関係ないのかもしれませんが、常に口の中が粘ついていて気持ち悪い状況です。痰を出す時、喉の奥からドロッとした粘り気のある塊が出てくる感じがします。

私だけではないと思いますが、とにかくネットで症状を入れて検索をします。本当はあまり調べない方が良いのかもしれませんが、気になって仕方ありません。

昨年11月に呼吸器内科を受診したのも、ネットで調べて私はもしかしたら急性喉頭蓋炎かなと思ったからです。

でも不思議な気持ちにもなります。心のどこかでは死んでも仕方ないという気持ちがありながらも、体調が不安になるとネットで探してしまう自分がいます。

そんな自分を笑ってしまう時もあります。

昨年胃の調子が物凄く悪かった10月、胃カメラを受ける前は癌かなと思い、諦めの気持ちもありましたが、いざ胃カメラをやって、CTを撮ってもらって癌ではないとわかるとホッとする自分がいるんです。

自分でネットで調べて、より不安な気持ちになる事も多いのですが、これだけ症状が続くと不安しかありません。

今週金曜日はメンタルの病院です。障害年金申請の為の診断書をお願いしなくてはならず、それも気が重いです。

今はメンタル、脂質異常症(糖尿病は経過観察中で、5月に採血予定)、痰(今週中には病院に行こうと思っています)。それに、これは私が悪いのですが、スマホのやりすぎで首が痛くて仕方ありません。

首が座っていない感じがします。

良い話はないです。気持ちが落ちる事ばかりです。


父に似ていく自分

2026年3月20日金曜日
※画像はAI(ChatGPT)で生成したイメージです。


父から電話がかかってくるたび、

心のどこかで「父が倒れたのではないか」と思う自分がいる。

そして画面に表示された名前が父だと分かった瞬間、
私は露骨に声のトーンを落とす。

きっと周りから見たら、私はとても冷たい人間に見えるのだと思う。

私が引きこもるようになった理由は、吐き気だけではない。
皮肉なことに、そのもう一つの理由は父にある。


私は、認知症になってから周囲に迷惑をかけ続ける父が嫌いだった。

けれど気づけば、自分もまた別の形で
人に迷惑をかけなければ生きられない存在になっていた。

父は母と散歩に出たとき、
一度座り込むと自力では立ち上がれない。

腰の曲がった母には、父を支える力はない。

母はシルバーカーを使って買い物に出掛けるが父は、つまらないプライドからそれを頑なに拒む。

そのくせ疲れて母が家に帰ると聞くと、母のシルバーカーを借りて、結局母も一緒に家に帰り二度手間となる。


父は以前住んでいた家に執着があるのか電話でも、5丁目の家にテレビが置いてあるんだよ、釣り竿があるんだ。

もう前の家は他の人が住んでるよと言っても中々納得はしてもらえない。

母と話をしても5丁目の家の話が出るみたいで、母が散歩がてら家を見に行く。

でも父は疲れて座り込むともう二度と立ち上がる事は出来ない。

母から電話でも聞くが立ち上がれなくなって他の人に声を掛けて起こしてもらた事はよくあるそうだ。

自分の思い込みを確認したいがために、周りの人に迷惑を掛ける、結局は他人の善意を当てにしなくてはならない。

そんな父や他の人にお願いする母が、私は嫌でたまらない。


でも残念だけどその姿は、今の私と残酷なほど重なってしまう。

私は朝早くても8時過ぎ、遅ければ10時過ぎに起きて、10時過ぎの場合は、朝はご飯は食べない。

6枚で100円強の食パンを1枚食べるだけ。

昼は3食入ったうどん100円強だ。

カップ麺の大盛りを、それでも100円強とおにぎりを一つ食べるお昼は贅沢なお昼だ。


起きてからやる事は、必ず掃除機だけは掛けることにしている。

お風呂は入ったり入らなかったりだ。

洗濯も3日に一度と決めている。

逆に言えばもうこれだけで一杯一杯。


今でも社会復帰したいと思う。

でももう数年前になるかな、頑張って面接に行ったら着いた途端猛烈な吐き気に襲われトイレに篭った。

なんとか頑張って面接は受けたがいつ戻してもおかしくない状況でこれ以降面接も諦めた。


今毎日家にいて12時間スマホ触って夜は0時から1時に寝て、結局私は父親と変わらないんだ。

ああ、自分は、あんなに嫌っていた父とそっくりじゃないかって思う。


社会復帰したいと言うプライドを捨てきれず、頑張った日々もあったが、いまはもう諦めだ。

障害年金が止まったらもう終わりだと思う。

診断書だって8千円だ、治療と併せて1万円。


結局は私は父親を嫌いになりながらも、父と同じで公的機関の助けがなければ生きていけない。

将来は間違いなく生活保護だろう。


こんな生活が惨めだと思わないわけではない。

時々コタツに入りながらスマホを握りしめて不安になってボロボロ泣いている。

昔会社で皆から頼られた自分はもういない。

ハイブランドの洋服を着て、友達からは同じ洋服を着ているのを見た事がないと言われた自分はいない。

車を3ヶ月ごとに乗り換えていた自分はいない。

結局、お金の使い方も父と同じで若い時は自己満足だったんだ。


今思う、惨めだけど嫌いな父と同じように、無自覚のまま人を巻き込み続けるよりは、この閉ざされた静かな生活の方が、まだ自分を納得させられる。


鏡の中に映る「父に似た自分」を、私はまだ直視できない。

だから今日も、父からの電話の着信音が鳴るたび、私は息を潜めるようにして、それをやり過ごしている。


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このブログのタイトル「MACLIFELab」は、はじめは「MACLIFE」としてスタートしました。その後、私自身のうつ病や父親の認知症などが重なり、サイトをまるっきり更新できない時期も長くありました。

そんな苦しい日々を送っていく中で、いまの私や認知症の父を支えてくれているのは、間違いなく「人」であり、そして「Mac」や「iPhone」でした。

接している人は少ないかもしれません。しかし、Appleやガジェットがくれる「時間」と「心の余裕」に、私は何度も助けられてきました。介護や体調管理という厳しい現実も、テクノロジーを上手に頼りながら、少しずつ生活を整えていく感覚で向き合っています。

日々の生活では、近くに住む父の認知症介護の手伝いや、自分自身のうつ病・脂質異常症(糖尿病予備軍)といった体調とも向き合いながら過ごしています。体調が良い時の趣味は、ポケモンGOや近所の散歩です。

2012年から続けているこのブログでは、Appleの進化とともにテクノロジーと向き合いながら、「便利さの先にある自分らしい暮らし」をテーマに、自分の視点で率率直に想いを綴っています。

ときにAppleやガジェットに対して辛口になることもありますが、それもすべて、一人の愛好家としてのリアルな感想であり、愛着の裏返しです。