無力の海に浮かぶ「たられば」の残骸

2026年3月3日火曜日

※画像はAI(Gemini)で生成したイメージです


時々、深く暗い海に沈んでいくような感覚に陥ることがある。

And、決して届かない「もしも」の断片を、一つひとつ拾い集めては溜息をつく。

もし今、私にうつ病という鎖がなく、以前のように元気に働けていたなら。

母の肩に食い込む介護の重荷を、もっと軽くしてあげられたのではないか。

もし私に、あの頃のような蓄えがあったなら。

「どこか他に住むところはないか」と縋るような声で電話してくる父に、別の選択肢を提示してあげられたのではないか。

金を無心してきた姉に、突き放すのではなく、そっと余分に握らせてあげられていたら。

姉の人生もまた、違う色に染まっていたのではないか。

毎日、決まった時間にスマホが震える。

受話器の向こうの父は、今の生活から逃げ出したい一心で、同じ言葉を繰り返す。

「他にも住むところないかな?」

私はそのたびに、冷たく、残酷な現実を言葉にして返さなければならない。

「ないよ。その年齢じゃ部屋は借りられないんだよ」

「お金だって、ものすごくかかるんだよ」

父を突き放したいわけではない。

けれど、今の私には父の願いを叶える「力」がない。

かつての私は、大企業ではないにせよ、それなりの給与をもらい、自分の足でしっかりと立っていた。

一体どこで、私の人生の歯車は狂い、これほどまでに無力になってしまったのだろう。

数年前、亡くなった伯父の次男から兄が亡くなったからと「家の保証人になってほしい」と電話があった。子供の頃、よく一緒に遊んだ親戚のお兄さんだった。

そのお兄さんももう何十年もうつ病で無職だった。

けれど、うつ病で無職だった私には、自分一人の命を守るのが精一杯だった。

誰かの人生を背負う余裕なんて、ひとかけらも残っていなかった。

無碍に断るしかなかった。

その一年後、母から警察から連絡があり、彼は孤独死したと聞いた。

「病気だから、仕方ない」

自分自身でも何度もそう言い聞かせてきた。

けれど、理屈では割り切れない「情」が、胸の奥でずっと疼き続けている。

大切に思っているからこそ、何もできなかった自分がいる。

And今も、何もできない自分がいる。

その事実が、刃のように胸を刺す。

お金があったとしても、何も変わらなかったかもしれない。

それでも、もう少し、何かできたんじゃないかと思ってしまう。

父に「いいよ、探してみようか」と言ってあげられる余白が、どこかにあったのではないかと。

今の私には、父の幻想を打ち砕く「現実」を突きつけることしかできない。

かつての自分が手にしていた「力」の残骸を数えながら、この無力の海で、今日をやり過ごしている。

鳴り止まない電話の着信音が、今日も部屋に響く。

まるで、私の無力さをあざ笑うかのように。

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MACLIFELab
このブログのタイトル「MACLIFELab」は、はじめは「MACLIFE」としてスタートしました。その後、私自身のうつ病や父親の認知症などが重なり、サイトをまるっきり更新できない時期も長くありました。

そんな苦しい日々を送っていく中で、いまの私や認知症の父を支えてくれているのは、間違いなく「人」であり、そして「Mac」や「iPhone」でした。

接している人は少ないかもしれません。しかし、Appleやガジェットがくれる「時間」と「心の余裕」に、私は何度も助けられてきました。介護や体調管理という厳しい現実も、テクノロジーを上手に頼りながら、少しずつ生活を整えていく感覚で向き合っています。

日々の生活では、近くに住む父の認知症介護の手伝いや、自分自身のうつ病・脂質異常症(糖尿病予備軍)といった体調とも向き合いながら過ごしています。体調が良い時の趣味は、ポケモンGOや近所の散歩です。

2012年から続けているこのブログでは、Appleの進化とともにテクノロジーと向き合いながら、「便利さの先にある自分らしい暮らし」をテーマに、自分の視点で率率直に想いを綴っています。

ときにAppleやガジェットに対して辛口になることもありますが、それもすべて、一人の愛好家としてのリアルな感想であり、愛着の裏返しです。