「あの頃のAppleは『夢のおもちゃ』だった」
2026-06-30私たちが欲しかったのは性能ではなく未来だった
先日、友人と昔のMacの話で盛り上がった。
PowerBook 170の時代からAppleに触れ、PowerBook Duoに驚き、Power Macintosh 9600を「パソコンのベンツ」と呼び、幕張のMacworld Expoで熱狂した日々。
あの頃のAppleは、本当に「夢」そのものだった。
ふと思う。
あの時のワクワクは、どこへ行ってしまったのだろうか。
パソコンが「冒険」だった時代
あの頃、Photoshopで画像加工を始めてコーヒーを淹れに行っても、まだ処理が終わっていないことなど日常茶飯事だった。
今の感覚からすれば信じられない話だろう。
メモリも少ない。
CPUも遅い。
HDDも小さい。
何もかも制約だらけだった。
それでも楽しかった。
なぜなら、その制約の先に無限の可能性が見えていたからだ。
Macのシステムフォルダを触って壊しては絶望する。
機能拡張が原因で起動しなくなり、夜中まで原因を探す。
Power Mac G4 CubeにHDDを換装して熱暴走させたり、BeOSをインストールして遊んだりする。
今の完成されたMacやiPhoneとは違い、当時のMacには「ユーザーが遊べる余白」があった。
そして何より、「冒険の匂い」があった。
性能ではなく体験を語っていたApple
当時のAppleのプレゼンテーションは、スペックの説明会ではなかった。
iPodなら、
「ポケットに1000曲」
iPhoneなら、
「電話、iPod、インターネットの融合」
Appleが語っていたのは技術ではない。
その先にある未来だった。
その製品を手にしたら、どんな体験が待っているのか。
どんな生活が始まるのか。
そこに私たちはワクワクしていた。
しかし今、新製品発表会の多くはリーク情報の答え合わせになってしまった。
冷却性能。
ベンチマーク。
ナノテクスチャー。
もちろん大切な技術だ。
でも本当に見たいのはそこではない。
私たちが知りたいのは、その製品がどんな未来を見せてくれるのかということだ。
なぜ今、AIにワクワクするのか
最近、友人がAndroidの折りたたみスマートフォンに機種変更した。
理由を聞くと、
「これ1台で仕事が完結しそうだから」
と言っていた。
新しい未来が見えたのだろう。
そして今のAI界隈も同じだ。
GPTを触る。
Geminiを試す。
AIエージェントを動かしてみる。
失敗もする。
むしろ失敗の方が多い。
それでも面白い。
なぜなら結果そのものではなく、
「何か新しいことが出来そうだ」
という感覚があるからだ。
Power Macintosh 9600にカードを挿して遊んでいた頃。
BeOSをインストールしていた頃。
システムを壊しては復旧していた頃。
あの時感じていたワクワクと、今AIに触っている時の感覚は驚くほど似ている。
未完成だからこそ面白い。
何が出来るのか分からないからこそ夢がある。
Appleは完璧な道具になった
Appleは今や世界最大級の企業になった。
MacもiPhoneも完成度は高い。
昔では考えられないほど安定している。
それは素晴らしいことだ。
しかし一方で、昔のAppleが持っていた「変なことをやる狂気」は薄れてしまったようにも感じる。
ユーザーが自由に遊べる余白も少なくなった。
完璧な製品になった代わりに、少しだけ夢を見にくくなったのかもしれない。
私たちが求めていたもの
中学生がiPhoneを欲しがる理由は、最高性能のSoCではない。
「AirDropが使えるから」
そんなシンプルな理由だったりする。
それでいいと思う。
私たちは技術そのものを見たいわけではない。
その先にある体験を見たいのだ。
今の自分にはない未来。
今まで出来なかったこと。
誰かに話したくなるようなワクワク。
あの頃、PowerBook 170を友人に見せびらかしていた時のような気持ち。
Macworld Expoの会場で鳥肌が立つような熱狂を感じた時のような気持ち。
私たちが欲しかったのは、性能ではなく未来だった。
だから私は今もAppleに期待している。
そして同じ理由で、AIにもワクワクしている。
未来を感じさせてくれる「おもちゃ」が、これからも現れてくれることを願っている。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
MACLIFELab