姉への手紙 ― 亡くなって21年、今でも時々会いたくなる
2026-10-029月19日は、姉の命日でした。
姉が亡くなって、もう21年になります。
以前にも少し書きましたが、姉が睡眠薬を大量に飲んで倒れたのは、2005年2月19日のことでした。
そして、それから7か月後の9月19日。
姉は突然亡くなりました。
「ママがリビングで倒れた」
2005年2月19日、夜10時を過ぎた頃だったと思います。
姉の子どもから、一本の電話がかかってきました。
「ママがリビングで倒れた」
母は、当時一緒に暮らしていたロンを私の部屋へ連れてきて、
「ロンを見てて」
と言い、父と二人で慌てて家を飛び出していきました。
しばらくして両親が戻ってくると、すぐに私の部屋へ来ました。
「朋美が睡眠薬を大量に飲んだ」
「いつ目を覚ますか分からないって言われた」
そう聞かされました。
両親が私の部屋から出ていった後、父の、
「どうしてこんなことに……」
という声が聞こえてきたのを覚えています。
ICUで姉を見ていた祖父
姉の顔を見に、私は何回病院へ行ったのでしょう。
正直、もう覚えていません。
それでも、はっきりと記憶に残っている場面があります。
一つは、母方の祖父母、叔母と一緒に病院へ行った時です。
祖父と一緒にエアーカーテンをくぐり、ICUへ入りました。
祖父は姉をじっと見ていました。
何も言わず、ただ姉を見ていました。
その姿は、今でも記憶に残っています。
「mamoちゃん、大変なことになったね」
もう一つ覚えているのは、父の兄の家族が来てくれた時です。
叔母さんは私に、
「mamoちゃん、大変なことになったね」
と声をかけてくれました。
そして長男は、私の肩をポンと叩きながら、
「しっかりな」
と言ってくれたと記憶しています。
父は、
「俺が代わってやりたい」
と泣いていました。
姉のお見舞いについて、今でもはっきり覚えているのは、この2回です。
実際に何回病院へ行ったのかは、もう思い出せません。
「ジジ、家に帰りたい」
そんなある日、仕事を終えて家に帰ると、父から、
「朋美が目を覚ました」
と聞かされました。
父が病院へ顔を見に行った時、目を覚ました姉は、
「ジジ、家に帰りたい」
と言ったそうです。
姉は、その後退院しました。
でも、退院してからは本当に大変でした。
その頃のことについては、以前「22年前のあの日、私たちの家は一度壊れた」という記事に簡単ですが書いているので、ここでは詳しく書きません。
ただ、本当に大変な日々でした。
それから7か月後、姉は突然亡くなった
それでも、病院を退院した姉が亡くなるとは思っていませんでした。
姉は呆気なく、本当に呆気なく亡くなりました。
当時、私は彼女と一緒に暮らしていて、その日も実家にはいませんでした。
姉が亡くなった後、家族はすぐに私へ連絡を取ろうとしたそうですが、なぜか私には連絡がつかなかったそうです。
夜8時を過ぎた頃だったと思います。
叔母の家から着信があったので電話に出ると、叔父さんから、
「朋ちゃん亡くなったよ。早く家に帰って」
と言われました。
その言葉を聞いた私は号泣し、その場にしゃがみ込みました。
彼女が「大丈夫?」と聞いてきたので、
「姉が亡くなった」
と伝えました。
顔を洗うことさえせず、そのまま姉の家へ向かいました。
姉の家に着いた時
姉の家に着くと、姉の元旦那さんが、
「Mamoru君……」
と泣きながら出迎えてくれました。
部屋には両親と子どもたちが座っていました。
私は母に、
「なんで?」
と聞きました。
母から聞いた話では、子どもがお昼にお腹が空き、姉に、
「マクドナルドに行くから、お金ちょうだい」
と言って出かけたそうです。
そして帰ってきた時、姉はベッドから立ち上がろうとしたのでしょうか。
足はベッドから出た状態で、仰向けに倒れていたそうです。
その横では、父と元旦那さんが葬儀費用のことで言い争っていました。
母が、
「朋美がかわいそうだ。そんな話をするなら出ていって」
と言っていたのを覚えています。
人が突然亡くなるということは、悲しむ時間だけがやってくるわけではありません。
その瞬間から、いろいろな現実的なことも一緒に動き始めてしまいます。
10年間、命日にお墓参りをしてくれた親友
姉が亡くなったことを、姉の親友にも知らせました。
電話口で号泣していたそうです。
そして、その親友は姉が亡くなった後、10年間、命日にお墓参りへ行ってくれました。
姉には、そこまで想ってくれる友達がいたんですね。
母から後になって聞いた話もあります。
警察の方が来た時、子どもたちが落ち着いていることに驚き、母に、
「お子さんたち、落ち着いていますね」
と聞いたそうです。
母は、
「今まで浴室にひもが掛かっていたり、何度もそういうところを見ているからじゃないですか」
と答えたそうです。
この話を聞いた時、子どもたちは子どもたちなりに、ずっといろいろなものを見ながら生活していたのだと思いました。
おねえちゃん、元気にしていますか?
おねえちゃん。
天国で、おじいちゃんやおばあちゃん、おばさんたち、そして家族だったワンちゃんたちと仲良くやっていますか?
お墓参りにも、なかなか行けなくてごめんね。
病院を退院した後、お金に困っていた時、私なりに精一杯のことはしたつもりです。
でも今になって、もう少し相談に乗ることができたのかな、と思うことがあります。
あの頃は、おねえちゃんのことを、
「なんで働かないの?」
と思ったこともありました。
不満に思ったことも、一杯、一杯ありました。
でも今は、やっぱり生きていてもらいたかったな。
写真の中では、二人とも笑っている
私は今、まだ早いかもしれないけれど、誰にも迷惑をかけたくないという思いから、少しずつ終活を始めています。
その中で昔の写真を見返すことがあります。
すると、おねえちゃんと子どもの頃に一緒に撮った写真が一杯出てきます。
二人で並んで、笑顔で写っている写真。
本当に楽しそうな二人です。
写真を見ていると、忘れていた昔のことまで少しずつ思い出します。
中学3年生の頃だったかな。
私が外で喧嘩をして、顔に怪我をして帰ってきたことがありました。
その時、おねえちゃんは、
「誰にやられた?」
って声をかけてくれたよね。
そんな何気ないことまで、今になって思い出します。
今、おねえちゃんが生きていたら
今、おねえちゃんが生きていたら、どんな話をしていたのでしょう。
くだらない話をして、昔みたいに喧嘩もしていたのかもしれません。
でも今なら、お父ちゃんのことをいろいろ相談できたと思います。
歳をとったお父ちゃんやお母ちゃんのこと。
これからどうしたらいいのか。
私一人では答えの出ないことも、おねえちゃんがいたら、
「どうする?」
と相談できたのかもしれません。
姉が亡くなって21年。
21年という時間は、とても長いはずなのに、あの日のことを思い出すと、それほど昔のことのようには感じません。
忘れてしまったこともたくさんあります。
それでも、今でも残っている記憶があります。
そして昔の写真の中では、今もおねえちゃんと私が並んで笑っています。
おねえちゃん。
やっぱり、もう一度話がしたいです。
おねえちゃん、会いたい
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
MACLIFELab