お彼岸である。
姉や祖父母、叔母の墓参りには行けなかった。
体調の問題もある。
それでも何とか実家に顔を出して、
お線香だけはあげてきた。
もちろん、両親の体調の確認もあった。
実家に着き、お線香をあげた後、母に聞いた。
「お姉ちゃんの墓参り、行ったの?」
「17日に行ってきたよ」
正直、心の中では思った。
よく行けたな。
母は続けて言った。
「朝9時過ぎにタクシーで行ってね」
「年会費が12,000円で、タクシー代と花で7,000円以上」
「全部で2万円くらいかかったよ」
お彼岸である。
姉や祖父母、叔母の墓参りには行けなかった。
体調の問題もある。
それでも何とか実家に顔を出して、
お線香だけはあげてきた。
もちろん、両親の体調の確認もあった。
実家に着き、お線香をあげた後、母に聞いた。
「お姉ちゃんの墓参り、行ったの?」
「17日に行ってきたよ」
正直、心の中では思った。
よく行けたな。
母は続けて言った。
「朝9時過ぎにタクシーで行ってね」
「年会費が12,000円で、タクシー代と花で7,000円以上」
「全部で2万円くらいかかったよ」
※画像はAI(ChatGPT)で生成したイメージです(iPhone Fold 予測図)
最近、私の周りでちょっと面白い現象が起きています。長年Macを使い続けてきた、いわゆる「Mac教」だった人たちが、次々とAndroidの折りたたみスマホに乗り換えているんです。
Galaxy Z FoldやPixel Fold。正直、数年前まではAndroidのUIって「ちょっと残念だな」と思う部分もありました。でも今は違います。いつの間にかUIもかなり洗練されていて、普通に美しい。ハードウェアのデザインもシンプルで、完成度も高い。そして何より、OSの自由度。これがやはり大きいんだと思います。
アプリを並べて使える。ウィンドウを動かせる。ちょっとしたPCのような使い方もできる。「スマホだけど小さなタブレット」という感覚。だからこそ、Macを長く使っていた人ですら「これは面白い」とAndroid折りたたみに移っているんでしょう。
そんな中でずっと気になっているのが、Appleの折りたたみiPhoneです。まだ正式発表はされていませんが、2026年秋に登場するのではないかという噂がかなり増えてきました。形としては、おそらくブック型。閉じると普通のiPhoneサイズ、開くと約7.8インチ。iPad miniに近いサイズ感になると言われています。
折りたたみスマホで一番の懸念点は「折り目」です。SamsungやGoogleも改善していますが、どうしても多少は見えてしまう。ただ今回の噂では、Appleはここをかなり本気で攻めているらしい。超薄型ガラスや特殊なヒンジ構造で、折り目が目立たないレベルを目指していると言われています。もし本当なら、触った瞬間に「これがAppleか」と思わせる力はあるでしょう。
ただ、私は思っています。それだけでは勝負にならないんじゃないか、と。
私が一番気になっているのは、やはりOSです。折りたたみiPhoneのベースは、iPadOSではなくiOSになるはず。そうなると、画面が広くなっただけで「やれること」が変わらなければ、単なる「大きいiPhone」で終わってしまいます。
噂では、開いた時にiPad風のUI(2画面並列やサイドバー)に近づくと言われていますが、iPadほどの自由度――複数ウィンドウを自由に開くといったレベルまでいくかは疑問です。結局のところ「iPad miniほど自由ではない」というあたりに落ち着く気がしています。でも、それでも普通のiPhoneよりは確実に面白い。そこは期待したいところです。
3アプリ同時表示やデスクトップ的な使い方など、自由度ではAndroidが一歩先を行っています。かつてUIで負けていたAndroidが今は普通に綺麗で、ハードも洗練されている。だから「Mac教」が乗り換えるのも理解できるんです。
ではAppleは何で戦うのか。私はやはり「体験の完成度」だと思っています。Mac、AirPods、Watchとの連携。iCloudでの同期。この「エコシステム」の気持ち良さは、やはりAppleが強い。折りたたみiPhoneも、この延長線上で「Appleならではの心地よさ」をどこまで出せるかが勝負になるはずです。
日本円で30万円を超えてきても不思議ではない価格。かなり高いです。でも、Appleには「最初の完成品を待っていた人」がそれだけ多い。折り目が目立たないのは魅力ですが、本当の勝負はOS体験。2026年、Mac教の人たちが戻ってくるのか、それともAndroidに留まるのか。その答えは、Appleが提示する「折りたたみの正解」次第です。
※本記事は2026年3月時点の噂をもとにした考察です。正式発表を楽しみに待ちましょう。
これは、私がiPhoneのメモに残しておいた記録をもとに書いている。
読み返すと、当時の張り詰めた空気や、心が削れていく感覚がよみがえる。
2021年の引っ越しから、2023年に生活が崩れていくまでの記録である。
実家が都営住宅へ引っ越し
この頃の父は、まだ母から話を聞かなければ認知症とは分からない程度だった。
しかし今振り返ると、異変はすでに始まっていたと思う。
母が引っ越しの準備をしていても、父は何も手伝わなかった。
まるで自分は引っ越しをしないかのように、横でずっとテレビを見ていたという。
私も手伝いに行ったが、確かに父はずっと座っていた。
小さな仏壇があったのだが、それだけは業者ではなく私が段ボールに入れて台車で運んだ。
玄関を出るとき、父がふと言った言葉を今でも覚えている。
「急に元気がなくなっちゃったよ」
あの言葉は、今でも頭に残っている。
引っ越し当日は甥も手伝いに来てくれて、なんとか片付いた。
しかし、皆が動いている中で、父も母もただ座っているだけだった。
最近の体調ですが、昨年10月から続いていた痰(たん)の症状が、ようやく少し落ち着いてきたように感じています。
※画像はAI(Gemini)で生成したイメージです |
先日、母の様子を見に行ったとき、コタツの上にdocomoの3Gガラケーが置きっぱなしになっていた。
ほとんど使っていない。
電話が鳴っても出ないことが多い。
3G終了の話を聞いたとき、私は母に言った。
「もう契約しない方がいい」と。
スマホにすれば、月々の維持費は決して安くない。
今の生活に、そんな余裕はないはずだからだ。
もしかしたら、私は細かすぎるのかもしれない。
そう自分に問い直すこともある。
けれど、そう思わざるを得ない背景がある。
今の都営住宅に越す前、母からこう言われたことがある。
「毎月8万円、家賃を援助してほしい」
泣きながらの頼みだった。
だが、私は即座に断った。
自分の生活さえ危うい私に、そんな大金は到底出せない。