2026年3月3日火曜日

届いた「障害状態確認届」――私の生活は、医師のペン先に委ねられている

昨日、日本年金機構から「障害状態確認届(診断書)」が届きました。 障害年金の決定通知書が届いてから、早いものでもう約2年が経とうとしています。


次回のメンタルクリニック受診時に記入をお願いする予定ですが、この書類を見るたびに、以前もブログに書いた「ある思い」が頭をよぎります。 それは、**「結局のところ、すべては先生の主観次第なのではないか」**ということです。


「○の位置」で決まる現実

初めて障害年金を申請した際、私は社会保険労務士事務所に依頼しました。 その時、社労士の方はこう言っていました。 「診断書にある『○の位置』の個数を見れば、申請が通るかどうか、おおよその検討がつきます」

そんなものなのです。 本人がどれほど苦しんでいても、生活が立ち行かなくても、書類上の判定は担当医の書き方一つで決まってしまう。まさに「先生次第」という現実を突きつけられた気がしました。


訴求が通らなかった過去の悔しさ

初めての申請時、私は過去に遡って受給できる「遡及(そきゅう)請求」も含めて依頼しました。

しかし、社労士からは「今の診断書の内容では遡及分は難しい」と言われてしまいました。

私の中では、通院を始めた当初から症状は何ら変わっていませんでした。だからこそ、クリニックに診断書の訂正を求めましたが、断られてしまいました。結果、遡及分は認められませんでした。 

本人の実感と、医師が書く書類のギャップに、どうしようもない無力感を感じた出来事でした。


厳しくなる判定、募る不安

昨年の4月、Yahoo!ニュースで「精神・発達障害で不支給が2倍増」という記事が話題になりました。

 ある社労士の先生によれば、2024年に入ってから年金機構の判定は明らかに厳しくなっているそうです。

今回の再申請がもし通らなかったら、私の生活は今よりもさらに厳しいものになります。 「次も大丈夫だろうか」という不安を抱えながら、私はまた、あの診察室の椅子に座らなければなりません。

終わりの見えない吐き気との闘い――それが「うつ病」の始まりだった

〜原因不明の吐き気に2年以上苦しんだ私の記録〜


私の体に異変が起きたのは、2017年1月31日のことでした。

親戚の相続手続きのため、叔母の家で待ち合わせて千葉地方法務局松戸支局へ行く日のことです。


駅から叔母の家に向かって歩いている途中、突然、激しい吐き気に襲われました。

もともと胃腸が弱く、胃薬は常備していましたが、わずか20分ほどの道のりで2回も薬を飲むほど、その吐き気は尋常ではありませんでした。


用事を済ませたあと、甥の店へ向かう途中も異変は続きます。西日暮里駅で吐き気に耐えきれず下車し、トイレへ駆け込みました。しかし、込み上げてくる感覚はあるのに、実際には何も出ないのです。


帰路、葛西駅を過ぎたあたりで、これまでに経験したことのない猛烈な吐き気に襲われました。

「このまま座席で戻してしまったらどうしよう」

そんな不安が頭をよぎります。涙目になりながら浦安駅に着くのを待ち、到着するや否や再びトイレへ。しかし、ここでも激しい吐き気だけが続き、何も出ませんでした。


この日から、私と吐き気との闘いが始まりました。

【速報】iPhone 17e & M4 iPad Air発表!256GB標準で10万円切りの衝撃

ついにAppleが動きました。2026年春のスペシャルイベントにて、噂されていた「iPhone 17e」と、大幅なスペックアップを遂げた「iPad Air」がベールを脱ぎました。

■ iPhone 17e:これは「実質的な値下げ」だ

事前のリーク通り、デザインこそノッチを継続していますが、中身は驚くべき進化を遂げています。

価格と容量: 税込99,800円〜。驚くべきは、最小容量が256GBからになったことです。

パフォーマンス: 最新のA19チップを搭載。廉価版とは思えない処理能力を誇ります。

利便性: ついにMagSafe(15W)にフル対応。

・ カラー: 新色「ソフトピンク」が追加。 

「画像はAI(Gemini)で生成したイメージです」


「2026年春、Appleが放つ新たなスタンダード。iPhone 17eの『ソフトピンク』は、派手すぎず日常に馴染む、絶妙な質感です。」

2026年3月2日月曜日

結局、みんな「他人事」なんだ。

父の病状が悪化し、1日2回の電話に追い詰められる日々の中で、最近痛感することがある。
それは、「世間というものは、どこまでいっても他人事でしかない」ということだ。


父や母の知り合いが、心配して母に電話をかけてくることがあるらしい。

だが、その内容は決まって薄っぺらな同情だ。

「区役所に相談してみたら?」

「もう、施設に入れちゃえばいいじゃない」


母から電話越しにその話を聞かされるたび、私の胸の奥にはどす黒い怒りが込み上げる。

「こっちだって、できることは全部やってるんだよ」

「一度も家に見に来たこともないくせに、簡単に言うな」


喉元まで出かかった文句を飲み込みながら、愚痴をこぼす母の話を聞く。

母の辛さはわかる。けれど、それをぶつけられる私の心も、もう余裕なんて1ミリも残っていないのだ。


2026年2月28日土曜日

22年前のあの日、私たちの家は一度壊れた

 前回の記事を書いてから、ずっと考えていることがある。

「もし、あの時あんなことが起きなければ、今の父はどうなっていただろうか」と。


かつて、両親は自営業で婦人靴の加工業を営んでいた。

朝8時から夜10時まで、休みも返上して働く背中を見て育った。やればやっただけ収入になる。端から見れば、それなりに余裕のある家だったはずだ。


けれど、2005年。あの夜を境に、私たちの時計の針は狂い始めた。


睡眠薬を大量に飲んだ姉

夜10時過ぎ、姉の子供からかかってきた一本の電話。

「ママがリビングで倒れた」

慌てて家を飛び出していった両親が戻ってきた時、顔は土色だった。

「朋美が睡眠薬を大量に飲んだ」

「いつ目を覚ますか分からないって言われた」


面会に言ってもICUのベッドで動かない姉。父は「俺が代わってやりたい」と泣きながら、何度も何度も姉の足をさすっていた。

その後、奇跡的に姉は目を覚まし、「ジジ、家に帰りたい」と言った。

その一言で、すべてが元通りになると信じたかった。