2026年3月26日木曜日

老人ホームに入った祖父が泣いた日。家族が抱える後悔

小さい頃、祖父がブランコを押してくれた日の写真。

祖父はまだ、自分の状況を理解できる人だった。

2013年5月。
祖父と一緒に暮らしていた叔母が亡くなった。

それまで二人で暮らしていた祖父は、
一人では生活ができなくなり、介護施設に入ることになった。

祖父は約3年間、同じ施設にいた。

施設に入った頃は、
「少し認知症かな」という程度だった。

しかし3年の間に、祖父は私のことを忘れてしまった。

それでも私は、月に1回か2回、祖父に会いに行った。

行くときは必ず、195mlの紙パックのジュースを持っていく。

祖父はそれを両手でしっかり持って、
いつも美味しそうに飲んでいた。


数ヶ月に一度、外出許可を取って祖父を外に連れ出した。

決まって行くのはラーメン屋だった。

祖父はラーメンを注文すると、
両手でどんぶりを抱えるようにして食べた。

「そんなに急いで食べなくても大丈夫だよ」

そう言っても、祖父は夢中で食べていた。


祖父だって、好きで施設に入ったわけではない。

叔母が亡くなり、
一緒に暮らす人がいなくなったからだ。

当時の私は何も力になれなかった。

叔母が亡くなった時、
私の母と叔母は、叔母の口座のお金を下ろすことに必死だった。

母は下ろしたお金を叔母に渡しながら言った。

「少し持っていくか?」

その姿を見て、私は腹の中で思っていた。

それは祖父のお金だろう。
何、人のお金を勝手に使っているんだ。

お金はもらう。
祖父の面倒は施設。

それはおかしくないか。

母と叔母が力を合わせれば、
何か出来たんじゃないか。

そう思っていた。


祖父は施設に入ってから、こう言っていた。

「もうここにいるしかないんだろう」

誰が好きで施設に入るだろうか。


そんな祖父の涙を、
私は一度だけ見たことがある。

施設の入り口で、

祖父はポロポロと涙を流していた。

「どうしたの?おじいちゃん」

そう聞いても、祖父は何も答えなかった。

ただ黙って泣いていた。


その日、私は母と叔母に電話をした。

「おじいちゃん、泣いてたよ」

しかし返ってきた言葉は、

「どうすることも出来ない」

それだけだった。


2016年4月16日。

祖父が危ないという連絡が入った。

私は急いで施設へ向かった。

祖父は静かに横になっていた。

「おじいちゃん」

そう声をかけると、祖父は目を開けてくれた。

そして涙の溜まった目で私を見て、
小さくうなずいた。

それが、祖父との最後の会話だった。


それから3日後。

祖父は亡くなった。

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